
<寄稿> 大河ドラマ「篤姫」の方言指導について
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私は俳優の傍ら、NHK大河ドラマ「篤姫」で方言指導にあたっている。大河ドラマでの指導は、1990年の「翔ぶが如く」、2000年の「葵・徳川三代」、04年の「新選組!」に続いて4作目になる。
子供のころから、鹿児島弁が出てくるテレビドラマを見ては「変だな」と感じることが多かった私に、初めて鹿児島弁指導の依頼があったのは1987年のことだった。
最初の依頼は脚本家の杉山義法氏からで、日本テレビの年末時代劇「田原坂」の脚本監修だった。当時32歳だった私は「現代の鹿児島弁ならともかく、幕末から明治にかけての薩摩弁については不勉強なので役に立てない」と断ったが、杉山氏は「全国の視聴者にとっては、君の知る範囲の鹿児島弁の方が、むしろ分かりやすくていい」と言う。俳優としても出演できるとのことで、ドラマの中の鹿児島弁に満たされぬ思いを持っていた私は引き受けることにした。
ところが、いざ作業を始めてみると、やはり現代の鹿児島弁では幕末を生きる志士たちを描くには事足りず、その時代の薩摩弁を一から勉強しながらの監修となった。あらゆる鹿児島弁辞典を購入し、鹿児島県立図書館の資料を借り、寝る間を惜しんで鹿児島弁に取り組む毎日だった。幸運だったのは、明治生まれの方々の会話が録音されているテープを入手できたことと、大正12年生まれの母が明確に士族言葉を記憶していて良き師となってくれたことだった。
以来20年間で、担当作品数はテレビ、映画、舞台、コマーシャルなど合わせて40本を超えた。鹿児島に生まれたことを心から誇りに思う私にとって、郷土を全国に紹介できるいい機会であるし、作品に出演させてもらっているので、手応えを感じられるやりがいのある仕事となった。
ではここで、大河ドラマ「篤姫」での方言指導について説明したい。
まず脚本家の田渕久美子氏が書いた「準備稿」の薩摩ことばの部分に手を入れる。それを基に台本の「決定稿」が出来上がり、収録の3週間ほど前までにセリフをカセットテープに録音し、各出演者に渡す。基本的に毎週月曜日はリハーサル、火曜日から金曜日は収録に立ち会う。残りの土曜日と日曜日に脚本監修とテープ録音をするので、準備期間から合わせると約1年3カ月の毎日が、「篤姫」と向き合うことになる。
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大河ドラマ「篤姫」の鹿児島ロケに臨む宮崎あおいさん(右)と瑛太さん=2007年9月28日、鹿児島市吉野町 |
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これは、島津家25代当主・重豪(しげひで)が文化10(1813)年、江戸で幕臣たちと折衝する者に対し「言語の不通は藩の外聞にかかわる」として言葉を正すよう求めた達しにのっとっている。また篤姫の父・島津忠剛(ただたけ)は、8歳から19歳まで江戸で育っており、その後江戸に詰めたこともあった。島津忠重(30代当主)著「炉辺南国記」にも、磯邸では標準語が交わされていたと書かかれている。夫人の多くが江戸育ちであることや、江戸城では方言が通用しないため平素から標準語に慣れておく必要があったことが、その理由であった。こうした史実に基づいているのである。
県民の方々が今年1年、篤姫とともに過ごし、鹿児島人としての誇りをさらに高めていただければ幸いである。私も俳優として、また鹿児島弁指導者として、ますます郷土の役に立てるよう精進したいと思う。




















