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“先輩”海江田順三郎さんに聞く
鹿児島大学法文学部 渡部祐莉恵
同工学部 岡 信太郎
市民に愛された「七高生」

 「激動の昭和を生き抜いた七高生を忠実に描いている」。タカプラ取締役副会長の海江田順三郎さん(79)は、映画「北辰斜にさすところ」(19日から鹿児島市の鹿児島ミッテ10)をそう評価した。舞台の旧制第七高等学校造士館は、私たちの通う鹿児島大学の前身だ。公開を前に、七高の卒業生である海江田さんに、青春時代について聞いた。

 海江田さんは、1947(昭和22)年に旧制七高に入学。旧制高校を卒業した最後の世代だ。「生徒たちは鹿児島の風土に育てられ、自由闊達(かったつ)、行動的で柔軟だった」と述懐する。市民からは「七高さん」と呼ばれ大事にされた。「ポストを壊しても、街中でバカ騒ぎをしても大目に見てもらえた」と笑う。市民から愛されていたことがうかがえる。
 45年、鹿児島大空襲で校舎は全焼。七高は鶴丸城跡地から出水海軍第2航空隊(旧高尾野町)の旧施設に移転した。しかし、「鹿児島市へ戻りたい」との思いから、学生による復帰運動が行われた。資金を稼ぐため、当時で1人3000円を出し合った。足りない分は、スイカ売りや祭りのかき氷屋、仮設映画会などで稼いだ。今ではとても考えられない。学生の努力で、47年9月には鶴丸城跡地に復帰した。
 七高生は教養を身に付けようと、みんな哲学書や文学作品などを読みふけったという。授業が終われば、天文館に繰り出し、映画や「カフェ」を楽しんだ。
 スポーツも盛んだったようだ。「旧制高校の中でも、サークル数は1番。野球の五高(現熊本大)と七高の対抗戦は鹿児島市民と熊本市民の対抗意識から、過熱してケンカになることもあった」と振り返る。生徒と市民とのつながりが深かったことが分かる。
 生徒には、蛮カラ文化があった。ハイカラに対抗した言葉で、「見た目に惑わされず中身で勝負」という意味もある。ボロ学生服にマント、破れた学帽、高げたなどが特徴。「自分で汚したり破いたりしていた。今の若い人がわざと破れた服を着るのと同じだね」。ファッションに自己表現を見いだすところは変わらないのだろう。
 しかし、「当時の生徒は、志や誇りが高く、社会や国家のためにという気風があった」と海江田さん。それに対し、現在の私たち学生はどうか。自分の利益だけを求めてはいないか。そういった意味で、教育のすばらしい形が旧制高校にあったのかもしれない。
 「旧制高校の姿を、現在に伝えたい」との思いから「北辰斜に−」は制作されたのだろう。この映画で、忘れかけている“大切なもの”をつかみとってもらいたい。

['08-01-17]
 



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