世間が「ハンカチ、ハンカチ王子〜!」とはしゃぐのを見て、「ハンカチで汗ふくのがそんな大騒ぎするほどすごいことか? こら、みんなしっかりせい!」とあきれているのは私だけだろうか。TVを見ていても普段のクールな東京都民とは思えぬほど、レポーターもマスコミも斎藤投手の一挙一動にキャッキャッとお祭り騒ぎするのを見てつくづく『東京も地方』なのだと悟った。
けなしているのではなく、東京人もそれなりに地元を愛しているのだと。早稲田実業の初優勝をただ誇らしく喜んでいると思えば、愛着さえ沸く。鹿児島県民にとっては鹿児島工業の活躍の方がずっとうれしい出来事だろうというのも納得できる。
福島に住む友人からのメールには「お盆で鹿児島に帰省する車の中で高知商、福島に帰る時は香川西との試合を聞きながら運転できて渋滞もなんのその、幸せでした」と書かれていた。私も12日、実家でお盆のちょうちんをセットしながら仏間にいたが、カキーン!という音が聞こえる度にTVのあるリビングに行ったり来たり、こっちが盗塁を狙う選手のようだった。
15日の試合は「第4試合が終わるまで待ってくれ」という兄の願いでお墓参りを遅らせていたらもう7時、あたりが暗くなってきたので家を出、車中のテレビで試合をチェックしながら仏様をお送りした。タクシーの運転手さんが言う、「ほがなかと思ちょったどん、強かなぁ。昔はいっき良かとこでバッタイじゃったで」「そうそう、なんか鹿児島ってお人よしで、ここ一番の踏ん張りがきかんですよねー」と会話も弾んだ。
高校野球の思い出は2つある。1つは1974年の鹿児島実業の定岡と東海大相模の原の試合。実業のキャプテンが兄の幼なじみで、うちのはす向かいの家だった。マー坊マー坊と私も遊んでもらっていたが、甲子園出場のとき新聞社の人が寄せ書きの旗を持ってきた。近所の人たちと一緒に励ましの言葉をつづり、それが大日本帝国を思わせる日の丸の旗で、子供ながらに「甲子園出場とはすごいことなんだ!」と思った。延長15回の試合は辺りがし〜んとなるほどみんな家にこもって応援し、勝利した時には各家から歓声が上がった。
もう1つは、1979年。何それ? と大半の人はわからなくて当然だが、母校の鶴丸が県予選の決勝まで残った年だ。現役の私は「もしかしてこ、甲子園!?」と一縷(いちる)の望みを抱いて声をからして応援した。結果は鹿実に惨敗。でもなんか、書いてるうちに幸せな気分になってきた。やっぱ地元はよかなぁ。


















