そういえば最近人のお宅に泊まる機会が少なくなった。子供のころは旅行すればホテルより親せきの家にお世話になるのが普通で、夏休みになると我が家にも、県外に住む親せき一家が里帰りして2週間くらい泊まっていったり、ぎゅうぎゅう詰めで食卓を囲み毎日ごはんを食べるのが楽しくてたまらなかった。同世代のいとこたちと過ごせるのはもちろん、母が久しぶりに姉妹そろって「カズちゃん」「アキちゃん」なんてお互いを呼びながら台所にたつ姿がなんともうれしそうで、父方の親せきのお宅にお邪魔すればまた同じような雰囲気を味わうことができた。親が幸せそうだと子供は安心し、さらに居心地の良さを実感するものだ。「大人になると兄弟ってこんな感じなんだ」。いつもとは違う親の顔を垣間見たりもした。
その形が変化したのは、子供たちが成人したこともあるけれど、我が家が一軒家からマンションに住まいを移したことも一因と思う。部屋数が減り、ベッドを置くようになると布団は出番が減り、年をとって重い布団の上げ下ろしをさせてまで寝泊まりしなくても、という気づかいもうまれる。親せきが遊びに訪れても「ビジネスホテルに泊まって、日中お邪魔して遊ぶほうが私たちも気楽だから」というスタイルを耳にすることも増えた。朝食メニューも多様化し、好き嫌い言わずみんなそろって大人と同じものを食べなさい、と子供に強いる時代でもなくなった。友人も家族で里帰りする時はホテル拠点のほうが波風たたず、双方うまくいくという。
たぶん意識が変わったのだろう。マンションという機密性の高い空間では、確かにプライバシーが気になる場面が多い。「仲良し」とは別に寝食共にしなくても、適当に距離を保つことも大切な思いやりだし、その微妙な温度の合う人が長い友達や恋人になることもある。私も友人を招いても泊めることはめったになくなった。レストランで食べ思いっきりしゃべり楽しんだら、それぞれの場所へ帰りクールダウンするひとときも貴重だったりする。一人暮らしは寂しいというが、仕事をしてると、自己と向き合う一人の時間も私には必要だ。
古き日本の人情味ある時代が懐かしい。けれど今は今で、現代流の触れあいは築けないものだろうか? 電車の中で寝たフリをする若者。その隣の席が空いた瞬間すかさず「どうぞ、こちらのお席が空きましたよ!」とお年寄りを誘導する。今年は今日で3人目。そんなことも私流の「触れあい」と思っている。


















