物持ち女王の私もついにテレビを買い換えることになった。家電は壊れるまで使い倒すのが私の信条。まずリモコンが壊れ、本体の交信部分も壊れ、わざわざテレビの場所まで行ってスイッチをON/OFFしていたが、次第に画面の幅が狭くなり被写体の輪郭が二重になってきた。色も紫と緑が強くなり、切れかけたインクカートリッジで無理やりプリントアウトした紙面みたいだ。「ねぇ、一体いつキミを買い換えたらいいのかな?」「はぁ…」、小康状態のテレビから照れくさそうな声が聞こえてきそうだった。
状況が急変したのは、正月に兄の家を訪問した際リビングで42型の液晶だかプラズマかを見たのがきっかけだった。そこで自分が出演したノルウェーの旅番組をDVDで見たのだが、あまりに美しく鮮明なフィヨルドの氷河の景色に目からウロコになった。兄のとこのテレビは星に例えると一等星いわゆる一番星で、うちのテレビは最後に見えてくる六等星みたいなもんだ(つまり約100分の1の明るさ)。画面のブレは感動のブレ、感性も鈍る。「こりゃいかん! テレビは娯楽だけでなく仕事の発想の源なのだ」。東京に戻って早速42型を、ついでにDVDも購入した。
さて私もついに地上デジタル波の仲間入り♪ウキウキしながらテレビをONするも、何か違和感を覚える。「くっきりはっきり超リアルな画面」を見た途端、目が瞬間「?」と止まりパタパタまばたき状態。クリアなデジタル画像を見て、今まで自分が見てきたアナログ画像とのギャップに視神経を通じて脳が適応できないでいるらしい。
けれどふと気付く。今私の瞳に映る世界は、この画面のようにそんなにクリアだろうか? 確かに海外の映像に「そう、その通り!」と感動がよみがえる時もあるが、実際黄砂や花粉やいろんな自然現象や汚染で、この世はぼやーっとしているのもある意味本当ではないかと思ったりするのだ。さらに、人の感情とリアルは微妙にずれる。ニュースとは違いあまり生々しくない方が想像力が高まり心が揺さぶられることだってある。「ローマの休日」はモノクロで画像も粗いが、見た人は時代や世代を超えて十人十色のオリジナルな絵の具で色あせることなく心にあこがれを保ち続ける。視覚をコンピューターグラフィックに侵食されている気がする。
長年使ったブラウン管のテレビは電気屋さんに引き取られていった。新しいテレビはフォルムよろしく感動も大幅に「薄型」。どちらにも申し訳ないなーって思う今日このごろなのだ(笑)。


















