ゴールデンウイークに帰省した折、指宿温泉とあわせて知覧の特攻平和会館を訪ねた。最初に来た2年前と合わせて2回目の見学になるのだが、ここの空気は他の戦争資料館にある重苦しさとは似て異なる「透明感」が漂う。おそらく戦禍の荒れ果てた景色や痛々しくもがき苦しむ人々の写真や記録が少ないせいかもしれない。平和会館に展示された特攻隊員の写真はみな元気そうで凛々(りり)しい。彼らが綴(つづ)る毛筆の日本語はどれも美しく、書き損じのない手紙や日記などを見ているうちに、いかにひとつひとつの所作に気持ちを込め大切に扱っていたかが伝わり、何をするにもパソコンでコピーペーストのメールや添付書類で事なきを得ようとし、誤字脱字を棒線で訂正するどころかテキトーにカタカナでごまかして目上の人にも平気で文書を送りつけている、今の自分が恥ずかしさでいっぱいになってくる。
今回は前回見過ごしたビデオのコーナーで、特攻隊員をもてなしていた富屋旅館の鳥浜トメさんの話を聞くことができた。遠方より息子に会いにきた両親だったが、彼が特攻隊員だと知っているのは父親のみで母親は「知覧の飛行基地で働いているだけ」と信じていた。息子はトメさんに「どうか母には私が特攻で死ぬ身だということは言わないでください」と頼んだそうだ。最期の楽しい親子のひとときを終え、母親は「お前が故郷に戻ってくるまでに早くお嫁さんを見つけておかなくちゃ」とうれしそうに語り父と帰っていったという。
死に行く自分のことより残す人々を心配し、感謝するエピソードや手紙の数々に心を打たれ、誰も責めようとせず自分の信念のまま戦争の犠牲になっていった真実だけが陳列されている会館を包む冷静さが、どうしようもないやるせなさと悲しみを訪れた者に刻み込んでいく。
折しも慰霊祭の5月3日だったせいか、映画のタイミングと重なったのか、2年前の数倍の人出で大混雑だった。一時的なブームにのっかり戦争を曲解する人が増えることを懸念する声にも一理あるが、それよりも「本物」に触れる機会を若い人々が持つことは大切だと思う。「本物」は戦争の是非だけでなくもっと根本的な「人としての本質」を教えてくれる。
平和会館を出た所で、町の人がふるまう新茶を味わった。緑色の薫りの中にさらりとしたほのかな甘み。ボタンで出てくるセルフサービスの色つきお茶とは全く別次元の、これもまた愛情のこもった深い本物の味がした。


















