読書家に見られることが多いが、実は私は本が苦手で、「今何を読んでいますか?」という質問がくると冷や汗が出る。夏休みの作文はいつも父に手伝ってもらい、読書感想文は本のあとがきを抜粋して提出していた。元々は作曲志望で曲を提供する時、歌詞付きのほうが有利かもとか、歌もあったらもっと採用されやすいかもとか、そういう姑息(こそく)な考えから作詞も歌も後付けで始めたのだった。だから今でも作詞には苦労する。スタッフから厳しい指摘を受けるのも歌詞だ。たぶんメロディーは直感勝負で、実体がなく判断しようのない逃げ場があるけど、文字は生活に密着してるものだけに議論の対象となりやすく、前後のつながりや言葉選びや、掘り下げようとすれば際限がないのだと思う。
このコラムを書くようになって、あらためて活字でさらされる言葉の難しさを知った。歌詞にはメロディーに包まれている自由さがまだあるが、文字だけで勝負する時、細やかな配慮と意思の強さがなければ文章は書けないのだな、と痛感した。2005年の6月から始めて約2年半、1000字の原稿にやっと慣れてきた昨年、雑誌で毎月1万2000字のエッセーの仕事を頼まれた。
ちょうどそのころ友人の依頼で、佐賀の女子刑務所で歌うという任務が待っていた。不安だったが半面怖いもの見たさもあった。もしかすると人目をひく文章が書けるかも…、そんな邪(よこしま)な興味から刑務所に赴き、体育館で弾き語りしたのだが、歌い終え受刑者の代表から「ありがとうございました」と言われた時、私の心にあったのは『歌えることの幸せ』だけだった。
人は何かの役に立ちたくて生きているとすれば、今の彼女たちはその対極にいるのかもしれない。けれど、そんな彼女たちからですら私は温かいものをもらった。凶悪な罪を犯した人がこの中にいるかもしれないけれど、普通のライブの時と何も変えずに『サイレント・イヴ』も歌った。そして私も受刑者も職員の方々もその時だけはすべてを忘れ、『やさしい気持ち』をつかの間共有できたと今でも信じている。
人生は不思議だなと思う。音楽の仕事をする自分が書く機会を得、なかなか会えない人と出会い貴重な時間を過ごし、またそれが音楽の喜びへと還ってくるのだから。
そんな刑務所慰問のテーマから始まった折々の文章が来週本となり発売される。そして書き続けているこのコラムも、読者の皆さんとの出会いの場を『活字』がとりもってくれていることに今さらのように気付く。人と触れ合いたくて、私は歌や文章を書いているのかなと思う。


















