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 「悶(もだ)えて加勢(かせい)する」。この言葉に出合ったのは、作家・石牟礼道子さんの仕事を紹介した本「石牟礼道子 魂の言葉、いのちの海」(河出書房新社)の中だった。

 「人が苦しんでいるときに、その人の家の前を行ったり来たりして、何もできないけど、一緒にいるでしょう」。これが「悶えて加勢する」ことであり「それで救われるとたい」。水俣病患者に寄り添う石牟礼さんの姿勢がうかがえる。

 鹿児島、熊本両県にまたがる八代海の水銀汚染による水俣病が公式確認されて、きょうで61年になる。暦が一巡り以上したにもかかわらず患者救済の訴えはやまない。全面解決に至っていないことが残念でならない。

 原因は国が場当たり的な解決策をとってきたことだ。公害を生んだ企業と、排水規制などを怠った国と熊本県の責任は明らかなのに、患者認定のあり方を巡って紛争を長引かせてきた。

 患者認定申請が急増していた1970年代、政府高官が企業側に「補償協定を破棄せよ。今のままではザルに水を注ぐがごとし」と発言していたこともわかった。企業支援のために補償の額を減らそうとする国の意図が透ける。

 被害を小さく見せ、幕引きを急ぐ国の姿勢は東京電力福島第1原発事故で避難者の帰還を急がせることにも重なって見える。患者や被災者とともに悶える気持ちが国になければ真の「加勢」をすることはできまい。