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 那覇市の首里城の運営が、来年度中にも国から沖縄県に移管される。太平洋戦争で消失し、1989年に国による再建が始まった。工事は最終盤に差しかかっている。

 朱塗りの正殿をはじめ、琉球王国時代を復元した建造物群は見事だ。沖縄県は外国人も含めた観光客数が順調に伸びている。県が運営することで、観光の核として一層存在感を増すだろう。

 ただ、鹿児島から訪れて居心地の悪さを感じた記憶がある。首里城に不満があったわけではない。薩摩藩の侵攻で服従を強いられ、明治政府によって強制的に日本に併合された王国の苦難を思わずにはいられなかったからだ。

 沖縄戦では城の地下に沖縄守備軍の総司令部が置かれた。周囲は激戦地となり、多くの民間人が犠牲になった。鮮やかな建物のまぶしさが、平穏を奪われた歴史の理不尽さを際立たせる気がした。

 米軍政下に置かれた沖縄は45年前の今日、日本に復帰した。国内の米軍専用施設の約7割が集中する過重な基地負担は相変わらずだ。政府は知事の反対を押し切って、名護市辺野古への米軍基地建設に突き進んでいる。

 沖縄には「物呉(むぬく)ゆしどぅ我(わー)御主(うしゅ)」との古い言葉がある。「物をくれる人が私の主人」という解釈では、表面的すぎよう。苦難の歴史に耐えた人々の真意を察すれば、「物くれる人」は「民政の安定をもたらす人」と理解すべきと思えてならない。