( 7/31 付 )

 1972年のミュンヘン五輪といえば、痛ましい事件を思い出す。武装したパレスチナ・ゲリラに襲撃されたイスラエル選手団の11人が犠牲になった。

 平和の祭典が一転し、テロの標的とされた五輪史上最悪の惨事である。世界中がショックと憤りに包まれた。メイン会場では、参加国の国旗を半旗に追悼式が行われた。競技は続行され、「テロに屈しない」との姿勢を貫いた。

 一方で、日本選手団の活躍も忘れるわけにはいかない。男子バレーボールは初めての金メダルに輝く。体操の鉄棒では塚原光男選手の月面宙返りが観衆を魅了した。鹿屋体育大名誉教授の田口信教さんは競泳の平泳ぎで世界新記録を出し、鮮烈な印象を残した。

 五輪の興奮が冷めやらぬ中、その年の秋にかけて鹿児島県で開かれたのが太陽国体だ。平和と情熱の象徴として太陽を掲げ、五輪選手を含む2万4000人が参加した。男女総合優勝で締めくくった県選手団は、地元開催に花を添えた。

 国体は国内最大の総合スポーツ大会だ。だが、県民の多くはなじみが薄く受け止めには温度差があったらしい。「盛り上がりをつくるのに苦労した」と当時の大会関係者は振り返る。

 2020年鹿児島国体が決定した。今回は東京五輪・パラリンピックの直後である。48年ぶりの熱い旋風を、南から巻き起こせるか。太陽国体をはるかに上回る五輪効果にも期待したい。