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 台風情報はかつて、テレビ局が気象台から生中継していた。予報官による進路予報は現場ならではの緊迫した雰囲気を茶の間に伝えた。暴風雨に備えねば、と見入ったものだ。

 気象予報士という国家資格ができる前の話である。今ではテレビ局にこの肩書を持つ人が増え、お天気キャスターとしてスタジオから伝えている。天気予報に新風を吹き込んだ倉嶋厚さんが93歳で亡くなった。

 鹿児島地方気象台長を1984年までの2年間務めた。「かごしまお天気物語」を本紙に連載するなどエッセーの名手でもあった。豊富な気象の知識に裏打ちされた観察眼は鋭い。

 定年後はNHKのキャスターとして、温厚な語りと親しみやすい解説で人気を集めた。当時としては思い切った転身だったのだろう。鹿児島で覚えた「泣こよっか ひっ飛べ」の心境だったと明かしている。

 陰で仕事を支え続けた妻の泰子さんの存在が大きかった。鹿児島に赴任した時、「次の新しい飛躍のステップになるよう精いっぱい仕事をしましょう」と励ました。97年に先立たれると、ショックからうつ病に苦しんだ。

 著書「やまない雨はない」に、自殺を考えた体験や病を克服する道のりを率直につづっている。「どしゃぶりも、知らず知らずのうちにやんでいました」。雲の間から柔らかな光が差す雨上がり、愛妻の待つ空へ。お天気博士らしい旅立ちだった。