( 8/12 付 )

 鹿屋市の笠之原地区に、かまぼこ形の古墳のような遺構がある。先の大戦中、敵の攻撃から日本軍の軍用機を守るために造られた。掩体壕(えんたいごう)と呼ばれる。

 旧海軍の航空基地があった名残だ。多くの掩体壕が必要になり、子どもまで造成に動員された。唯一現存する古びたコンクリート壕の前に立つと、大粒の汗を光らせ作業に励む人たちの姿が目に浮かぶようだ。

 時がたっても、その空間に身を置けば当時の様子を想像できる。戦跡が残された意義を深く感じた。戦争体験者が年々減る中、歴史の記憶と教訓を次代へ伝える貴重な教材だ。

 ただ、私有地にある戦跡も多く、保存は簡単ではない。笠之原の掩体壕は2年前、鹿屋市の文化財になったが、買い取りに手間取ったという。市のもう一つの戦跡文化財である串良基地第一電信室は、土地ごと借りて維持しているのが実情だ。

 移設や修復の資金が工面できず、消えた戦跡も少なくない。海上自衛隊鹿屋航空基地の掩体壕は今年、老朽化のために解体された。保存すれば数億円はかかったと聞く。やむを得ない選択かもしれないが、海軍鹿屋基地は全国最多の特攻隊員が出撃した場所である。隊員も目にしたであろう壕はもう見られない。

 戦跡を負の遺産とする考えもある。とはいえ、今につながる歴史の1ページに違いない。「物言わぬ語り部」をどう守るか。戦後世代の責任は重い。