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08/02/05 本紙掲載
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チーム支える

弁当を差し入れて17年

日 置 松崎 義孝さん(51)

すし職人としての腕をいかし、選手やスタッフを応援する松崎義孝さん

冬が近づき寒さが厳しくなるにつれ、松崎さんのハートは熱を帯びてくる。串木野高3年だった1975(昭和50)年、選手として出走した。競技を退いてからは、すし職人の腕を生かして日置チームをバックアップ。大会期間中のスタッフへの弁当差し入れは17年目になった。
 高校2年で候補になったが、出走の機会はなかった。「強豪高でもない地方の高校の選手には県下一周駅伝は夢のような舞台。もう有頂天だった」と振り返る。春には京都で修業することが決まっていた。
 最初の出走で調子がよかったせいか、当時の船迫義和監督が最終日最終区に起用してくれた。最後の駅伝と分かっていたから、スタートから飛ばした。鹿児島市街地に入ったころから目の前が真っ白になった。「ゴールできたのが今でも不思議。支えになったのは沿道の声援だと思う。長田陸橋を越えた付近で聞こえた小学生の声援だけは覚えている」と記憶をたどる。
 修業を終え、いちき串木野市に自分の店「すし松」を構えた91年から弁当の差し入れを続ける。監督やコーチの乗る監察車はゴールまで止まらずに選手と並走するため、トイレや食事もままならない。「選手はきついが、支えるスタッフも大変だろう」という思いから始まった。
 初日は「チームの上昇」を願いウナギを手配。地元を通過する2日目はすし、3日目はサンドイッチを作ってスタッフに手渡す。同じ75年初出場の宇都口清隆監督は「弁当にも駅伝への熱い思いがこもっている」と感謝する。
 04年から店の前が駅伝コースになった。大喜びで店頭に掲げる長さ約7メートルの横断幕も作った。それを見て、近所の住民らが応援に集まるようになった。コースが再び変更になった今年は、「頑張れ日置」の大横断幕を掲げられる新しい場所を検討中だ。
 「残念だけど、私にとって駅伝といえば県下一周駅伝のこと。また必死に応援する」。沿道の声援が選手の力になると知っているからこそ、松崎さんは今年も声をからす。

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