谷あいの細い道沿いに廃屋がぽつぽつと並んでいる。大黒柱が朽ちてぺしゃんこになった家の残骸(ざんがい)。散らばる戸板や屋根瓦。生え放題の雑草。敷地には裏山の竹やぶが迫り、山にのみ込まれていくようだ。
1998年を最後に無人になった旧大根占町(錦江町)の山添集落だ。野ざらしになった家に色あせた同年7月のカレンダーがかかっていた。集落の時間はそこで止まっていた。
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| 生活のにおいが消えた旧大根占町の山添集落跡。葉タバコの乾燥場がひっそりと残っている=3月28日、錦江町 |
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町役場から車なら10分足らずの距離。その名の通り山に寄り添うような地形だ。かつて葉タバコ生産が盛ん。働き者が多く品質もよかったという。その名残をとどめているのは、収穫した葉っぱをつるした乾燥場だけだ。21世紀を目前になぜ集落は消えたのか。
その兆しが現れたのは日本の高度成長期の1960年代後半だ。畑を捨て、大阪など都会への出稼ぎが相次いだ。
当時、葉タバコ生産はキロ単価を上げるための転換期。「山添は1戸当たりの農地が約30−40アールと手狭。機械化や規模拡大が求められたが、経済的な余裕はなかった」と住民と交流のあった元農協職員永田正次さん(81)。葉タバコに代えてグラジオラスの球根出荷に取り組んだが、根付かなかったという。
役場の住民記録によると、山添集落は72年の63人(14世帯)をピークに、くしの歯が欠けるように減少。子どもは中学卒業と同時に先輩のつてを頼りに大阪などに就職した。
最後の1世帯になったのは地元の製材所で働く原園重雄さん(52)だ。大阪の車部品メーカーに就職後、20代半ばで帰郷。母親のスミさん(02年、83歳で死去)と実家を守った。「母は自分の体が続く限り、亡き父から受け継いだ土地で畑仕事をしたいと願っていた」
山を下りるきっかけは96年7月の台風6号の被害だ。自宅は無事だったものの、集落への道が約50メートルにわたって倒木の山にふさがれた。耕作放棄の畑に植えられた杉の木。「根元の土が柔らかいから簡単に倒れた」。重雄さん1人の力ではどうにもならない。共同体の機能が失われるだけではない過疎の過酷な現実だった。
山添は高度成長という時代の波にのみこまれ、力尽きた。今、県内の過疎集落に押し寄せているのは少子高齢化という新たな波だ。山添の切ない末路は一足早かっただけだろうか。
























