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田中一村~知られざる奄美の道~

author: 浜元 良太(更新日:2012年8月9日)

田中一村記念美術館

奄美の自然に魅了された不遇の天才画家・田中一村の作品が数多く展示される田中一村記念美術館【写真提供/田中一村記念美術館】

謎の男

田中一村。あの奄美での作品群を残したからこそ、私は彼に惹きつけられる。常に孤独という文字を引きずって我々の前を幽かに見え隠れするが、決してその姿を晒すことはない。

仕事が休みの日に,私は奄美大島の海沿いの道を何周もした。平成22年の晩夏から冬にかけて,一村の足跡を見つけるために車を運転した。

一村の奄美での生活は先行の調査や研究により判然としている部分も多いが、時間量で比較すれば、まだまだ圧倒的に謎だらけ。

有屋の苫屋(とまや)

有屋の一村終焉の借家。この住居で、ひたすらに奄美を描き続けた【撮影/犬塚 政志】

一人の絵描きが奄美に来て、そこで暮らし、生涯を閉じた。奄美の何が、彼にそうせしめたのか。奄美のどこで、何を見て、何を聞き、何を思ったのか。本人が存在しない以上、確かめることなどできっこない。できっこないが、謎多い人物というものは知れば知るほど魅力を増してくるのも事実で、むしろその方がいろいろ想像する喜びも味わえるというもの。謎についてはこれまでも多く語られてきた。憶測が推量を呼び、推量が反論を招き、さらに新説が生まれ、また、同じサイクルを繰り返す。謎は、謎のままでいいではないか。と開き直ってもおもしろくない。

彼が私に伝える最大のメッセージは、奄美で描かれた作品群。神秘、明快、孤愁、強烈、不安、希望,単純、複雑、均衡、動勢…明らかに彼は戦っている。有屋の苫屋の、薄暗い電灯の下の、ぶよぶよの畳に両膝をつけ、腰を折り曲げ、壁に立てかけた絹本に向かう一村の姿が浮かぶ。世離れした恐ろしいまでの執念だ。笠利の田中一村記念美術館には、そんな何とも言えない,形容しがたい一村の魅力と出会える静かな空間がある。




アオノクマタケラン

一村が描いた植物のひとつ、アオノクマタケラン【撮影/犬塚 政志】

謎の写真

田中一村記念美術館の収蔵庫には、彼が撮影したベタ焼きの写真が数多く眠っている。全て奄美で撮影した写真だ。撮影場所及び期日については悉く分かっていない。明らかに,奄美の作品群と構図,構成が一致する。すなわち,制作のための取材撮影だ。

撮影された場所を特定できないものか。まぎれもなく、彼がそこに行き,具体的な作品の構想を得たということになるではないか。道、山、海、浜、送電線、崖、川、蘇鉄、漁師、農夫…場所や季節を特定するヒントは、印画紙の中に必ずある。写真に写っている地形や風景を見つけ出すことはできないか。

まずは、昭和30年代中頃の奄美の道路や交通事情の把握。奄美大島を彷徨うように旅した彼とて、これに従わぬ訳にはいくまい。昭和20年代から50年頃にかけての、奄美の航空写真と地形図を国土地理院から取り寄せた。当時の港湾、道路の工事写真、二度の名瀬大火の資料、各市町村史、個人史を県立奄美図書館や古書店に渉猟した。当時の住宅地図、土木地図を市民や奄美市役所に求めた。名瀬の柳町、有屋に昔から住む人に、近所の風景を写した写真を個人のアルバムに探した。

車道の開通、拡幅、舗装、架橋、港湾や入り江の埋め立て、乗り合い馬車からトラックへの移行、バスの開通と区間、海沿いの集落を繋ぐ定期船の最期、などなどできるだけ詳細な年表を作成した。方々から集めた昔の風景を写した大小様々な写真も時系列に並べた。

これら多くの情報を、当時の地形図に全て書き込み、写真のコピーととともに助手席に置いて、車のハンドルを握ったのだ。果たして彼が歩いた道、佇んだ場所、腰掛けた海岸、写された人物、等々、一つ、また一つと、撮影された場所を特定できる収蔵庫の写真は増えていった。




本茶峠

一村がよく散歩した本茶峠にあるクワズイモ。クワズイモを題材とした「クワズイモとソテツ」は一村の代表作とされる【撮影/犬塚 政志】

一村が見た風景

同時に、印画紙の種類、大きさ、形、焼き付けの色、被写体の連続性を手掛かりに、彼が残した写真をいくつかのグループに分けて、それぞれの写真に撮影順番を付けた。最後に現在の2万5千分の1の地形図の上で,全ての情報を再現する。多くは,一村が奄美に来た翌年の昭和34年の春から秋にかけて撮影された写真だった。今は存在しない道、峠、海辺を、一村は辿っていた。大和、宇検、住用、瀬戸内、龍郷、笠利と、全島を旅していた。今に伝わる多くの断片的な噂、伝聞も重ねた。辻褄が合って行くではないか。

田中一村。その名を冠した県立美術館の学芸員を任されることになるとは露ほども思わず。平成22年4月,笠利赤木名の海沿いの一室に単身入り込み、一村漬けの生活が始まった。部屋の窓からは,笠利湾が一望できる。円弧の形に白砂の浜が視界の左側に遠く続き、右に広がる青い海を囲う構図だ。砂浜の背後には、外金久の家々の低い屋根が波打つように広がる。モクマオウの緑が,集落と砂浜を分ける。極まれる南国情緒、屈託のない明媚,いたって寂寥。

遠方に見えるのは、左から笠利湾に突き出た小さな半島。その先端に打田原(ウッタバル)という小さな集落がある。そこで、愛用のカメラを自動シャッターにセットして、一村は自分を写した。これが最も有名な写真になった。幹線から遠く離れた集落には,訪れる人もいない。全ては当時のまま。遠くを見る一村の若々しい姿の背景には、龍郷湾を挟んで今と同じ長雲峠の稜線が連なる。

このことを発表する前に私は転勤した。ごく少数の人を除いて、そのことを知る人はいない。打田原のあの場所にもう一度立って、53年前の一村が見た同じ風景をもう一度見てみたいと、今も時々思う。




浜元 良太浜元良太

昭和36年、鹿屋市出身。鹿児島大学教育学部卒業。私立高校、国公立中学校勤務を経て、霧島アートの森、鹿児島市立美術館、田中一村記念美術館の学芸員。ほか、県及び鹿児島市で教育行政に勤務。県美術協会洋画部会員、絵画団体無所属、主に南日本美術展、県美展等に出品。

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奄美が大好き!なわたしが、旬の奄美をご紹介

斉藤正道さんあまみんちゅ[no.3]
斉藤正道さん(奄美大島観光協会会長)

「奄美独自の文化や風習を楽しんで欲しい」という斉藤さんは、石川県金沢市の出身。東京、金沢で公務員を務め、退職後に観光業に携わり全国各地を巡った。平成元年に奄美大島に渡り、以来リゾートホテルなど観光業を営んでいる。「文化も風習も人が作るもの。だから、奄美の魅力を一言で表現するなら"人"(島人)だと思います」と語る。アンケートでも、多くの人が奄美旅行の思い出として「人との出会い」を挙げているという。

平成21年に、奄美大島観光協会の会長に就任。斉藤さんが奄美の三原色と呼ぶ空・海・森の深い色彩に、ハイビスカスが映え、島唄のリズムが心地良い。そんな奄美を「南国の楽園」と評するが「沖縄とイメージが重なっている。奄美ならではの魅力を発信していきたい」という思いを持って職務に奔走する。「例えば、各集落(シマ)に点在している教会巡りなども面白いですよ」とお勧め。国の登録有形文化財に指定されている瀬留教会あまり知られていないが、奄美大島北部はカトリック信者がおよそ6%を占めると言われ、"マリアの島"とも呼ばれている。左は、1908(明治41)年に建立された瀬留教会で、国の登録有形文化財に指定されている(=龍郷町瀬留)。自然と歴史、そして人々の営みの中で培われた異文化との触れ合いが楽しめるのも奄美の魅力だろう。

赤木名地区の教会

旧笠利町役場のあった赤木名地区の教会=奄美市笠利町中金久

嘉渡教会

住宅街にとけ込んだ嘉渡教会=龍郷町嘉渡

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