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島々の"今"を見つめる、まなざしの旅

author: 高比良有城(更新日:2014年2月13日)

喜界島

空よりも青い海に飛び込む少年(喜界島)

奄美群島をめぐる、小さな写真集

"ひととき"と呼ぶにはあまりにも濃密で鮮烈な日々だった。北西の風が強く吹き付ける奄美空港に降り立ち、厚く着込んだ防寒着のジッパーを思わず首元まで締めたのは、2013年の2月。

奄美大島

ギラギラとした砂浜の照り返しが、笑顔と白い歯を照らす(奄美大島)

縁あって黒糖焼酎のPRプロジェクトに参加することになった僕は、それから半年をかけて奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島をめぐり、ただひたすら写真を撮り続けることになった。

全カット撮り下ろしという斬新(かつ無茶で無謀)なスタイルで向き合った奄美の島々。目の前にめくるめく現れては消える光を、風を、笑顔を、たたずまいを、そして美しく瑞々しい"今"を、パチリパチリと心に記憶するように写真へと焼き付けていくことが、僕にできることのすべてだった。




徳之島

夕暮れの砂浜を散歩する闘牛(徳之島)

長崎から屋久島、そして奄美へ

長崎県長崎市に生まれ育ち、福岡で写真を学び、20歳で屋久島へ移住。島の情報誌制作に携わりながら丸4年を過ごした僕は、「屋久島を撮り続けるため」に鹿児島市へ拠点を移し、フリーのカメラマンとして活動を始めた。

沖永良部島

キッとこちらを見据える、通学途中の青年(沖永良部島)

屋久島しか知らなかった僕にとって、奄美群島をめぐる撮影の仕事は大きな挑戦であり、同時に写真学生時代のワクワクとした情熱と冒険心を掻き立てるものだった。僕は学生時代にならって、カメラのレンズをズームの効かない短焦点レンズに付け替え、自分の足で被写体との距離をはかり、ときに離れ、ときにググッと近づく基本的なスタイルで撮影に臨んだ。

はじめての撮影前夜は、遠足や旅行を控えた子どものようになかなか寝付けない。何度も目が覚めてはカメラバッグの中身を点検し、ファインダーを覗いてイメージトレーニングを繰り返す。あした飛行機に乗って1時間も経てば、いよいよ奄美の人となる。とはいえ、恥ずかしながらこの時点でも僕は、南海に連なる奄美群島(喜界島や与論島など)の名前と場所を、うまく頭の中の地図に描くことはできなかったけれど…。




与論島

離陸前の飛行機で、旅の安全を願ってキスを交わす(与論島)

はじめての奄美

洋上に浮かぶ小さな空港に、白い飛行機がひらりと降り立つ。タラップから島の地に足を踏み出すと同時に、大きく息を吸って呼吸を整え、体中の空気を一気に入れ替える。心と体をすばやく島に馴染ませるための、おまじないのようなものだ。

沖縄どころか屋久島以南の島を訪れたことのない僕にとって、奄美への旅はすなわち人生における最南端への一歩となる。2月の空港に吹く風はひどく冷たかったが、それは確実に初めて体感する空気の質感であり、島独特の少し湿り気を帯びた潮風の肌ざわりだった。

奄美大島2

網いっぱいの貝を獲った島人。本業はバスの運転士(奄美大島)

ふと、人間が持つ五感について考える。撮影前、僕は下調べとして事前に島の写真を検索し、島唄を聴き、島料理を食べ、そして近所の酒屋で黒糖焼酎を買って飲めないお酒をこっそりと舐めた。つまり五感のうちの視覚、聴覚、嗅覚、味覚についてはすでに体感ずみだった。残るは、触感。これだけは実際に島々へ足を踏み入れなければ感じることも、撮ることも、語ることもできない。

五感のすべてを開放し、研ぎ澄ますことによってクリアに現れる島々の今。はじめての奄美、知らなかった奄美の姿が、目の前にあった。







与論島2

学校帰りの女子高生。会話に夢中になると歩く速度もゆっくりになる(与論島)

運と縁にめぐまれて

半年間で10回近く通った奄美の島々。演出や仕込みを好まない僕の撮影スタイルは風まかせの運まかせ。入り組んだ路地や珊瑚の石垣の間をひたすら歩き、ときに道端のお地蔵さんのようにジッと動かずに待ち、レンズの向こう側の世界がザワザワと(あるいはキラキラと)蠢きだす瞬間にそっとシャッターを切る。

写真を生業にして15年。"シャッターチャンス"は決まって僕の技術や狙いをはるかに超えた領域からふいにやってきて、一瞬の間に過ぎ去ってしまう。バラエティーの世界では、そんな瞬間を"笑いの神が降りる"と表現するのだろうが、僕は昔からそれを"写真の鬼"と呼んでいる。鬼は、ファインダー越しにきっちりと対峙し、シャッターを切ってパチリと退治しなければならない。

徳之島2

どこからともなく聞こえてくる三線の音を辿った先で(徳之島)

それは、分かりやすい言葉に言い換えれば"運"であり"縁"でもある。島々をめぐる旅の中で、僕はささやかながらも運命的な出会いに幾度もめぐり合うことができた。白く光る珊瑚の道で、風に揺れるサトウキビ畑で、遠くから島唄が聴こえてくる海辺で、島人たちが黒糖焼酎に酔いしれる宴で…。

旅の記憶は、小さな写真集の中に鮮明に焼き付けられている。すべての出会いと一期一会のめぐり合いに感謝して、僕は今日も南から吹く風に島々の"今"を想う。








高比良有城(たかひら・ゆうき)著者紹介

1978年長崎市生まれ。九州ビジュアルアーツ専門学校・写真学科卒。20歳で屋久島へ移住し、丸4年を過ごす。その後鹿児島へ拠点を移し、雑誌・広告のスチール撮影やムービー制作を中心にフリーで活動。姶良市在住。

AMAMI islands Photo book「Shima-Jima」AMAMI islands Photo book「Shima-Jima」

奄美群島の今を切り取った写真集。奄美群島産黒糖焼酎の代表銘柄6本をセットにした黒糖焼酎「Shima-Jima」のラベルにも使われており、小さな写真集を肴に黒糖焼酎をかたむければ、それぞれの空想旅行がはじまる。

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奄美が大好き!なわたしが、旬の奄美をご紹介

あまみんちゅあまみんちゅ[no.21]
窪田かおるさん(大島紬洋装 工房TOKARA)

2013かごしまの新特産品コンクールで鹿児島市長賞を受賞した工房TOKARA(トカラ)の『大島紬創作織り Color Oshima ネクタイ&コサージュ』。若い人にも気軽に身に着けてもらえることを目指したデザインに、長年、百貨店勤務で培った窪田さんの経験が生かされている。

「家から、はた織りの音が聞こえなくなったら、それは私が死んだとき」と語っていた亡き祖母、そして大島紬の生き残りのため、伝統の技術が生み出す“新しい大島紬”に挑戦し続ける父母。その姿と作品に「惚れ込んでしまいました」と2年前に家業に転身、今は修行の毎日を過ごす。修行の様子を聞くと「ホントに厳しいです」と苦笑い。

ストール工程ごとの分業制が基本の大島紬で、窪田さんの父・叶孝則さんは、全工程の技術を持つ数少ない職人のひとりなのだそう。薄れつつある着物文化を危惧した叶さんが「洋装のための紬」として考案した「トカラ織り」は、柄が浮き上がるような独特の質感が美しく(右写真)、その技法は全行程をよく知る叶さんならではのもの。さらに色や柄を現代風にアレンジした織物が「Color Oshima」だ。コートからストール、前述のネクタイ、コサージュまで「すべての作品に大島紬の良さと情熱が込められています」と窪田さんの穏やかな口調に一瞬力が宿る。「作り手の思い」はきっと大島紬を次世代につないでいくだろう。(2014年2月27日)

ネクタイ&コサージュ

DATA

大島紬創作織り Color Oshima
ネクタイ&コサージュ

  • Color Oshimaのもつ個性的な色使いと、現代風な柄が魅力的なネクタイ&コサージュのセット。コサージュは幅広い年齢層に合うカメリア(椿)のデザイン。
  • 大島紬洋装 工房TOKARA
  • [所在地] 鹿児島市宇宿9-22-14
  • [TEL]099-265-2408
  • [営業時間]月~金曜日 10時~16時まで
  • [定休日] 土・日曜日・祝日
  • [オンライン購入]47club(全国送料無料)
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