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母恋いの島、沖永良部
~「青幻記」の世界~

author: みたけきみこ(更新日:2014年7月10日)

「ぼく、ここへ来たことある?」とたずねる稔。母は、「いいえ」と答え、ふたりは故郷に帰ってきた安心感よりも、生きるきびしさの前に佇む。

小説と映画、ふたつの「青幻記」

「母と私を乗せた船が、サンゴ礁エラブの沖に着いたのは、南の風が強い真昼であった。」

このようにはじまる小説「青幻記」。昭和42年に発表され、太宰治賞を受賞した名作です。「青幻記」というタイトルは、沖永良部島の洞窟のように幻想的な世界をあらわしています。青い幻とは、人の魂の色。あるいは地球の青、海の紺青色。

沖永良部島の岩場で、海に飲まれるようにして死んだ母の姿を、息子の眼で描いた作品。作者・一色次郎の実母をモデルとし、沖永良部の地名、風物、自然、慣習などもふんだんに出てくるので、読者は、主人公の少年・稔と旅をし、母を恋い、沖永良部の浜辺を歩くという一体感に包まれます。

1973(昭和48)年、成島東一郎監督によって映画化され、音楽が武満徹、脚本に平岩弓枝が参加しています。原作の文章も名文ですが、原作の核心からぶれることなく、陰翳ゆたかに沖永良部島を美しく浮かび上がらせた映像、そして映画音楽が深く印象に残ります。

鹿児島市の西田橋(いまや貴重な映像となりました)、沖永良部島の浜辺や海底、石垣など、まさしく映像も「青」を浮き彫りにしています。映画は小説をほぼ忠実になぞっていますが、小説は映画の土台となり、映画は小説の豊かな解釈と補足である、と言えるでしょう。小説と映画、ふたつの「青幻記」を感じ取ることができるのです。

母と別れて、鹿児島市の祖父に預けられた稔は、祖父の発明品を売りに行かされ、売れない上に、商品を壊してしまい、西田橋のたもとで、呆然とうずくまる。

映画もまた小説と同じように、32歳の母・サワと小学5年生の稔が沖永良部の浜に辿り着くところから始まります。この母と子は、沖永良部島でこの後6か月ともに暮らしただけで、つねに引き裂かれる運命にありました。父は早く亡くなり、母サワも結核を患っていましたが、再婚相手の暴力から逃れるようにして、さらには祖父に養育されながらもいじめにあっていた息子の稔を連れ去るようにして、生まれ故郷の沖永良部に帰ってきたのでした。

このときの6か月の島の暮らしと、母の死を経て、島を出て成人した稔が36年ぶりに島に帰ってきて、母の骨改めをすませたのち、母の遺骨を東京に持ち帰るまでが描かれています。

サワと稔が着いたのは、沖永良部島の和泊港ではなく、伊延(いのべ)の沖。強い南風を避けてのことです。そこに錨が下され、乗客は、くり舟で浜に着きます。サワと稔は、ここから出花(でぎ)の村はずれをまわって、和泊に戻り、和泊から知名の境を越して、サワの実家がある黒貫まで歩きます。枯葉のような形をした沖永良部島の南側を歩くのです。

肺を病んだ母にとってはつらい道中ですが、途中でサトウキビの収穫に使う牛車に乗せてもらったりして、「イイメの屋敷」と呼ばれるサワの実家に辿り着きます。イイメとは、西南端という意味の方言です。子ヤギの鳴き声がし、鶏が出てきて、まわりが生き物に囲まれ、賑やかになり、老婆(サワの母親)とサワと稔の3人の暮らしが島で始まります。祖母の養生もあって、母サワは元気になっていきました。敬老会へも出席し、稔とともに浜へ魚採りに行ったりもします。




母サワを知る鶴禎老人と出会った稔は、老人から母の思い出を聞く。

「上り口説」を舞う母の幻

「青幻記」は、36年後の壮年の稔が、故郷に帰ることを思い立って、ひとり島を訪ね、少年時代を回想するシーンが織り交ぜられます。少年時代の稔を、成人した稔が見つめている構図。母を回想しながら、イイメの屋敷跡にたたずむ36年後の稔に、ニシ屋敷の老人が声をかけます。老人は、かつてサワを愛した人でもありました。壮年の稔は幾晩かをこの老人と語り合い、この老人によって、サワの過去、そして、サワがどれほど美しかったか、いまでも語り草になっている敬老会の夜に、サワが舞った「上り口説(のぼりくどき)」のいかに見事であったかが語られるのです。

「東の原(あがりのはら)」という、昔、砂糖小屋のあった、サンゴ礁に近い、崖の上の原っぱで、満月八月十五夜の日に敬老会が開催され、サワは請われて、大和のぼりの歌である「上り口説」を踊ります。大和とは、九州本土以北のこと。

八月十五夜の老人会で、「上り口説」を踊ったサワは、痛ましいほど美しく、満月に映える青い幻であった。

 旅の出で立ち、観音堂、千手観音伏し拝で、黄金酌捕り手、立ち別る
 立ちゆる煙は、硫黄が島、佐多の岬に、はい並び、エー、あれに見ゆるは、ご開聞、
 富士にみまがうさくらじま

沖永良部島を出てから鹿児島本土への旅路が終わるまで、八番ある歌詞を歌い続け、踊り続けるにつれて、「孤島に生を受けたもののわびしさが胸をしめつけて、くるしさに息のつまるような」踊りを、母サワは踊りました。

「追憶に残るその夜の母の姿は、ただ、ひとつの幻である。満月の影を投げて海面には黄金色の河ができていた。その一筋の流れが母の向こうに輝いている。その黄金の影を横切ると、母の横顔や肩の線が金色にふち取られて神々しかった。(中略)両腕をあげてゆっくりと舞台をまわった時の母の体が、草の茎のようになよなよと見えて、痛ましいほど美しかったこと、私のすぐ前を小魚のように通りすぎていったとき、かすかに母の匂いがにおったこと、――― すべては、秋の満月の夜の幻であった。」







浜辺で遊んだ母サワは、急に胸の痛みを覚え、稔に丘へあがって、誰かに助けを求めるように言う。

母の死と骨改め

母サワと稔は、二学期も終わりに近い日の晴れた午後、潮干当(しおひど)で草舟を浮かべて遊んだり、魚採りをしたりしました。しかし、満潮になる頃、母は急に苦しみだすのです。

「お母さんは、なんだか、胸が苦しくなりました。それから、手足がしびれて、動けなくなりました。たいしたことはないように思うんですけど、動けなくなりました。」

そう母は言って、稔に誰か呼んでくるように諭します。

「母は、やはり、光るような凄まじい微笑を浮かべている。その顔は、私に、ますます、こわく見えた。こんなに、私を圧迫する母にはじめて相対した。」

そして、母は稔にまだ頼みごとをします。

「稔さん、おかあさんって、呼んでください。さっきから、まだ、一度しかいってくれないじゃないの。」
 「お母さん!」
 「稔さん、もう、一度」
 「お母さん!」

母サワは、岩の上にあおむけになったまま、それ以上、稔と目を合わせませんでした。

そのまま、母は動けなくなり、海に飲まれ、稔と遊んだホウに沈みました。海から引き揚げられたサワの亡きがらを拭き、清めるところが、映画のなかでの美しい場面。サワを演じる賀来敦子の身体のみずみずしさが、満月の夜の幻のようであった母の姿と重なります。そのサワの身体を掻き抱くようにして拭いてあげる祖母役の原泉の演技力も見逃せません。

「私が、母に気づいた瞬間、母が、何故目をそらせたか。この謎は、それから長い間私をくるしめた。理解できるまで、三十六年かかった。じっさいに、その場所に自分がもういちど立ってみるまでわからなかった。」

死を覚悟した母は、それを息子に悟られないように、目をそらす。36年たって、稔自身が晩年にさしかかり、死が身近になって、母が死んだ場所に佇んだとき、ようやく母の気持ちを理解します。母の死に際に、振り向いて、母の姿を見ることを許されなかった少年は、36年目にして、母の死の覚悟を知る。この母と息子の関係は、ふたりの会話の美しさと、最後の「お母さん」という叫びと、母の死に縁取られ、青い幻のような閉じた世界に封じ込められ、出口を求めて彷徨っていたのです。

最後に、母の「骨改め」の場面。

母の頭蓋骨を抱きしめる稔

「私は、白骨を両手にのせて、目よりも高く捧げた。母と私は、こういう位置で、向かい合っていることが多かった。この姿勢が、いちばん自然である。最後のサンゴ礁のときも、岩の上から、こういうふうにわたしを見守って、語りかけてくれた。」

稔の島での友人が言います。

「君は、東京で、あまり幸せでなかったようだな。その年になって、まだ、母親がこれほど忘れられんのじゃからな。いろいろ母親に聞いてもらいたいことがあったんだろ」

この言葉が、母と息子の閉じた内部世界を外側にさらけ出す力となり、母恋い、子恋いの物語が終わります。

ぜひ、小説と映画、どちらも堪能されて、「青幻記」の美しく、悲しく、幻想的な世界に浸るのも、「奄美なひととき」でしょう。

[映画「青幻記」©成島鋭彦]




みたけ きみこみたけ きみこ

鹿児島市天文館にある「文学サロン 月の舟」主宰。月の舟自由大学学長。古典から現代まで幅広く教える日本文学講座講師。文学散歩の企画実施20コース以上。海外生活、母親経験あり。孫育てと旅と読書が大好きで、おしゃれな文芸評論家をめざす永遠の熟女。

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奄美が大好き!なわたしが、旬の奄美をご紹介

古川誠二さんあまみんちゅ[no.26]
古川 誠二さん(与論島「パナウル診療所」所長、医師、鹿児島大学医学部臨床教授)

与論島北部にある「パナウル診療所」。徳島県北島町出身の古川誠二医師(65)が離島医療を志し、1988年からの町立診療所勤務を経て91年開業、96年に木の温もりに満ちた癒やしの空間として造った。月1回体操教室、週1回はバンドの練習、コンサートも随時開く。診療中に子どもたちが遊びに来て走り回る、集いの場でもある。

診察では子どもや仕事などの悩みも聞き、心のケアに努める。生活環境や病気の位置づけを考え、生活の幸福度を上げる「一人一人オーダーメードの医療」を目指すためだ。末期患者の家族には、みとりまで世話が続けられるよう心を配る。全国から医学生・研修医も毎年40人ほど受け入れている。予防と初期診療を重視し総合的な診断ができる医師をより多く育てたいと願う。ドクターヘリや他病院との連携も離島医療の課題だ。

仕事が終わると、妻と近くの海岸を散歩する。「毎日変化する美しい海のおかげで、疲れも吹き飛ぶ」と語る。波音を聞き、沈む夕日をただぼーっと眺めるひとときに心身を癒やす与論の海の力を実感する。診療中の様子「味咲」のカキ氷、「ふらいぱん」のエビフライ、「ひょうきん」の郷土料理…大好きな地元グルメも数え上げれば切りがない。島に来て26年。4人の子育ても緊急時に預かってもらうなど近所の人に助けられた。地域の絆が深い土地で、医師として、住民として一員になれたことがうれしいという。感謝を込め、地元の「かりゆしバンド」が歌う「たましいの島」の作詞もした。与論の自然、伝統、文化を大切にとの願いを込めた。「全国の皆さんに遊びに来ていただいて、与論のファンになってほしい」。

商品パッケージ

DATA

モリンガ麺

  • 生めん110g×5束入り(つゆ無し、1080 円)、3束入り(同、680円)
    与論島産の栄養素が豊富な「モリンガ」の葉の粉末を練り合わせた麺。「モリンガ」はアフリカ・シェラレオネで働いている看護師から紹介され、古川さんが提案、薬草パパイヤ農園が加工食品を開発した。ゆでると鮮やかな黄緑色。もちもちとした食感でのどごしが良くほんのりとした甘さが口に広がる。めんつゆで食べるほか、パスタ麺としても人気だ。
  • [問い合わせ](株)薬草パパイヤ農園
  • [電話]0997-97-3148
  • [ファクス]0997-97-4958
  • [所在地]与論町茶花2300-1
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