高校野球

昭和49年8月、応援団の激励を受け、西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)から甲子園に向かう鹿児島実業高野球部。紙面は「出発に先立ち駅前広場で壮行会が行われた。松元主将が『がんばってきます』と元気にあいさつ、後援会やファンの声援に送られ次々と列車に乗りこんだ」と報じている
昭和49年夏の全国高校野球選手権第7日、鹿児島実が第1戦に続く1-0で高岡商(北陸)を下し、初のベスト8進出を決めた。紙面は「七回裏中村孝の適時打で1点を入れ、定岡が2試合連続完封の力投。鹿児島チームとしては史上4度目のベスト8に進出した」と報じている。
昭和49年8月、夏の全国高校野球選手権第5日に登場した鹿児島実が1-0で佼成学園(西東京)に勝利。「一回表、鹿実2死二塁、森元の中前打で走者松元がホームイン。しり上がりに調子をあげる定岡投手が完封し、典型的な『カジツ野球』を見せた」と紙面は伝えている。
昭和49年夏の全国高校野球、鹿児島実の試合をテレビで見守るファン。紙面によると「堂々ベスト8入りを決めた戦いぶりに、県民はテレビの前にクギ付け。鹿児島市天文館通りのアーケードでは、どの電気店に前にも人垣ができ、通りは閑散となった」と報じている。
昭和49年8月、妙円寺参りの陣羽織姿でホラ貝を吹く応援団。当時の紙面は「鹿児島実のベスト8進出がかかった大会第7日、お盆休みの激闘に甲子園は朝から興奮気味。午前10字の試合開始前から一塁側アルプススタンドは超満員で、スタンドに入れぬ人たちは外野席の最上段で立ち見を始めた」と伝えている。
昭和49年8月、全国高校野球の東海大相模戦勝利に沸く鹿児島実業高校の会議室。「勝利が決まった一瞬、会議室は興奮のるつぼ。留守を預かる先生たち15人と卓球部員が2台のテレビ前で、抱き合い、万歳の繰り返し」と当時の様子を伝えている。
昭和49年夏の全国高校野球選手権第9日、県勢初のベスト4進出を決め、尾堂捕手と抱き合って喜ぶ定岡投手(右から2人目)と駆け寄るナイン。紙面は「東海大相模との延長15回の激闘の末、5-4で鹿実が勝利。気力で完投した定岡投手は、銚子商と並び優勝候補の双璧と見られた力の東海大相模打線をねじ伏せた」と報じている。
昭和49年夏の全国高校野球選手権準決勝、丸に十の字のウチワが舞う鹿児島実の応援団席。紙面は「三塁側アルプススタンドは通路まで占領する大応援団。9回裏、『昨日に続き再び延長に』と新たな興奮に包まれたが、サヨナラ負けを喫し、目を伏す人の姿も。整列して一礼する選手たちには『よくやった。ありがとう』の声が浴びせられた」と報じている。
昭和49年夏の全国高校野球選手権準決勝、鹿児島実が1-2で防府商(西中国)に敗れ、決勝進出を逃す。当時の紙面は「7回表1死一、三塁、轟木の一塁ゴロの間に中村がホームをついて同点。負傷した定岡に変わり4回裏から堂園が好投したが、9回裏1死二塁、悪送球と中堅手の失策で防府商・重田が一挙にサヨナラのホームを踏んだ」と伝えている。
昭和45年8月8日、全国高校野球選手権大会が甲子園球場で開幕。「鹿児島商工の選手が堂々と行進する姿に、尼崎鹿県人会、鹿商工OBなど約500人の郷土出身者から一斉に拍手がわき起こった」と紙面は報じている
昭和45年、鹿児島商工(現樟南)が夏の甲子園に初出場。ナインは伊勢高野連会長などから激励をうけ、甲子園へ向けて出発した。紙面は「西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)のプラットフォームに並んだ鹿商工ナインは、見送りの学友、父兄などの人がきのなかで、緊張しながらもファイトをたぎらせていた」と報じている。
昭和45年夏の全国高校野球選手権第1日、鹿児島商工は0-2で江津工(西中国代表)に敗れ、初陣を飾れなかった。紙面は「鹿商工の上水流投手、江津工の三沢投手の投げ合いとなる好試合。鹿商工は4回表、2死一、三塁のチャンスをものに出来ず、8回裏に力投していた上水流投手がつかまり2点を入れられて敗戦となった」と伝えている。
昭和46年8月、6年ぶり4回目の甲子園出場を決めた鹿児島玉竜。選手たちは全校生徒から激励を受けた後、母校の校庭で最後の練習に汗を流した。当時の紙面は「全選手にあふれる自信がみなぎり、フリーバッティングのタマ足もすさまじく速い」と伝えている。
昭和46年8月、鹿児島玉竜ナインが応援団や父兄などに送られ、西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)から甲子園へ出発。「プラットホームに整列したナインはやや緊張した表情。後藤二塁手が故有村総監督の遺影をしっかり抱いていた。山元主将が『必ず勝ちます。』と激励の声に応え、応援団の力強い鼓舞とブラスバンドのマーチに送られながら出発した」と紙面は報じている。
昭和46年8月、全国高校野球選手権の組み合わせ抽選会があり、鹿児島代表の鹿玉竜は花巻北(北奥羽代表)との対戦が決まった。当時の紙面は「鹿玉竜と花巻北はよく似たチームで共通点がある。どちらも“1回戦突破”が合言葉で、おもしろい試合展開にないそうだ」と報じている。
昭和46年8月7日、全国高校野球選手権大会の開会式が行われた。紙面は「鹿児島玉竜チームは山元主将を先頭に行進。全国の精鋭にもひけをとらない精悍(せいかん)な表情で、スタンドを埋めた大観衆の拍手をあびた」と伝えている。
昭和46年夏の全国高校野球選手権大会第6日、鹿児島玉竜が今治西(北四国代表)に6-4で逆転勝利し、ベスト8入りを果たした。当時の紙面は「鹿玉竜は8回表に追いついたが、裏に1点離される。土壇場の最終回、打者一巡の猛攻で3点リードし、追撃を振り切って勝った」と伝えている。
昭和46年8月8日、全国高校野球選手権大会第2日に登場した鹿児島玉竜は花巻北(北奥羽代表)に12-0で完勝した。写真は先取点をあげる鹿玉竜。「打っては2塁打5つを含む13安打を飛ばし、守っては吉重投手が被安打1で完封。初陣の瀬田監督の采配もあざやかで、最後まで手綱を緩めず、勝負への執念を見せつけた」と紙面は報じている。
昭和46年夏の全国高校野球選手権2回戦で、鹿児島玉竜の逆転に総立ちで喜ぶ応援団。紙面は「鹿玉竜と今治西の準々決勝進出をかけた激闘に、一塁側の応援席は声も枯れんばかりの大声援。鹿玉竜ナインの粘り勝ちに熱狂した」と報じている。
昭和46年8月、ベスト8進出を決めた翌日、旅館で新聞を読みながらくつろぐ鹿児島玉竜の選手たち。「今治西との対戦を『ねばりと闘志の大逆転』と大きな活字で報じた各新聞をじっくりとかみしめるように読んだ」と紙面は報じている。
昭和46年夏の全国高校野球選手権準々決勝、鹿児島玉竜は桐蔭学園(神奈川)に0-1で敗戦。写真は学校で応援する鹿児島玉竜の在校生たち。紙面は「在校生たちはテレビの前で一喜一憂。6回のチャンスには総立ちで大声を張り上げ応援、9回に1点とられ、ため息がもれた。ベスト4入りは逃したが、優勝候補に一歩もひけをとらず戦ったナインに『よくやった』と拍手を送った」と報じている。
昭和46年8月17日、全国高校野球選手権でベスト8進出を果たした鹿児島玉竜ナインが甲子園から帰鹿。西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)では学校関係者など約300人が出迎え、熱狂的な拍手で健闘をたたえた。「ナインが着くと、直ちに駅前広場で“駅頭祝賀会”。会のあとには、同校野球部育ての親・故有村増蔵監督に墓前報告をした」と紙面は報じている。
昭和59年、第66回全国高校野球選手権大会に鹿児島商工(現樟南)チームが出場した。写真は壮行式で学友らに励ましを受け、健闘を誓うナイン。「壮行会では鎌田知事が『他の代表校をけちらかして圧勝してほしい』と激励。今西主将は『一生懸命頑張ります』と力強く決意を述べた」と紙面は報じている。
昭和59年8月8日、第66回夏の全国高校野球選手権大会が甲子園球場で開幕。14日間にわたる熱戦の火ぶたを切った。写真は沖縄水産に続いて行進する鹿児島商工(現樟南)チーム。紙面は「突き抜ける青空、雲一つない。夏の燃える太陽が祝福する。日ごろ鍛えた技と力をぶつける球児の“熱いドラマ”が始まった」と報じている。
昭和59年8月12日、甲子園での全国高校野球選手権大会出場の鹿児島商工高校を応援しようと貸し切り列車「鹿商工号」が西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)を出発した。写真は出発に先立って花束を贈られる応援団。当時の紙面は「『鹿商工号』は機関車の先端に同高の校章をデザインをヘッドマークをつけ、添乗員、車掌など全て同校OBという鹿鉄局からの粋な計らいがあった」と報じている。
昭和59年、第66回夏の全国高校野球選手権大会3回戦、鹿児島商工が桐蔭学園(神奈川代表)に2-0で勝利しベスト8入りを果たした。当時の紙面では「2回戦の拓大紅陵戦に続き、増永投手のスライダーがさえた。鹿児島商工は、木佐貫の二塁打で2点を奪い、危なげない完封試合で勝利した」と報じている。
昭和59年、第66回夏の全国高校野球選手権大会第3回戦、鹿児島商工高では留守を預かる教職員ら約40人が、ロス五輪レスリングのメダリスト二人を囲んでテレビ観戦した。紙面では「江藤選手(左)は『全力を尽くして勝ち進んでもらわねば』、宮原選手も『県民の声援に応えて頑張ってほしい』と声援を送った」と報じている。
昭和59年、第66回夏の全国高校野球選手権大会準々決勝、鹿児島商工高は取手二(茨城)に敗戦。紙面は「県勢2度目のベスト4進出をめざした鹿児島商工だったが、2試合連続完封の増永がつまずき、立ち直る間もなく得点を奪われた。終回に2点差まで追い上げたものの、時すでに遅かった」と報じている。
昭和59年、夏の全国高校野球選手権大会、鹿児島県勢が10年ぶりの甲子園準決勝進出をかけて戦った日、郷土のテレビ桟敷は燃えた。紙面では「初回から苦しい展開だっただけに『ここで逆転だ』とすがるような思いで声援。最終回、鹿商工の反撃が始まると、息づまる熱戦を見守った。試合終了後も『ご苦労さんじゃった』と拍手を送っていた」と報じている。
昭和59年、夏の全国高校野球選手権大会、準々決勝、三塁側鹿児島商工スタンドは、ブラスバンドのマーチと太鼓の響き、大声の応援がこだました。紙面では「9回最後の鹿商工攻撃。奇跡の大逆転を待ったスタンドは、無情のサイレンを聞くと歯ぎしりした。それでも『最後までよく粘った』と、ナインに惜しみない拍手を送った」と報じている。
昭和59年、夏の全国高校野球選手権大会で鹿児島県勢としては10年ぶりのベスト8入りを果たした鹿児島商工ナインが西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)着の有明17号で帰鹿した。紙面では「選手たちがホームに姿を見せると、父兄などから一斉に拍手がわき起こった。今西主将は『いい試合ができたのもみなさんの応援のおかげです』と感謝の言葉を述べた」と報じている。
甲子園球場で開かれた第76回全国高校野球選手権大会で鹿児島県勢初の準優勝に輝いた樟南ナインが平成6年8月22日、空路帰鹿。鹿児島空港、鹿児島市の樟南高校周辺ではナインの健闘をたたえる大勢のファンから歓迎を受けた。
「いけるぞ、目指すは優勝だ」―。男女共学になって初の甲子園。平成8年3月28日の第1試合、鹿児島実業高校の3塁側アルプススタンドは、初登場のチアリーダーと伝統の″野太い″応援団が見事に共演、伊都高校=和歌山=との接戦を選手と一緒にもぎ取った。また下窪投手の地元・指宿郡頴娃町谷場集落からは全住民の1/3が駆けつけ、「キバレ」「キバレ」の大声援。新生「カジツ」の応援と、はつらつナインが球場を圧倒した。
「よくやった」「感動をありがとう」―。甲子園の第68回選抜高校野球大会で、春夏を通じ鹿児島県勢初の全国制覇を果たした鹿児島実業高校野球部の優勝報告会が平成8年4月8日午前、鹿児島市五ケ別府町の同校、同市みなと大通り公園、県庁であった。待ち望んだ紫紺の大優勝旗の披露に詰めかけた市民らは感激を新たにし、″勇者″たちの偉業をたたえた。
【第56回全国高校野球】甲子園へ発つ鹿実チーム
ベスト8進出を決めた鹿実
鹿児島実、初戦飾る
電気店の前で鹿実の戦いを見守るファン
陣羽織姿の応援団
鹿実高で声援する留守舞台
鹿実が県勢初のベスト4進出
丸に十の字のウチワが舞う鹿実応援団
鹿実、決勝進出ならず
【第52回全国高校野球】鹿商工、初の甲子園へ
鹿商工が力強く堂々更新
鹿商工、初戦飾れず
【第53回全国高校野球】鹿玉竜、母校で最後の練習
鹿玉竜ナイン、甲子園へ出発
鹿玉竜、初戦は花巻東と
鹿玉竜ナインが力強く行進
鹿玉竜が根性のベスト8入り
鹿玉竜、念願の甲子園勝利
反撃に喜ぶ鹿玉竜応援団
旅館でくつろぐ鹿玉竜の選手
ピンチに祈る鹿玉竜在校生
西駅で祝福を受ける鹿玉竜ナイン
【第66回全国高校野球】けちらかして勝て鹿商工ナイン
精鋭49校が集う 鹿商工胸張って行進
「鹿商工号」甲子園へ
4回に噴火、”桜島打線”連続完封勝ち
五輪メダリスト囲み声援/鹿商工の留守部隊
鹿商工無念 必死の追撃、あと一歩
惜しかったなあ鹿商工/終回の連打に歓声
甲子園スタンドに惜しみない拍手
鹿児島商工ナインが帰鹿
【第76回全国高校野球】お帰り樟南ナイン
【第68回選抜高校野球】球場を圧倒
第68回選抜高校野球大会優勝の鹿実ナイン




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