風景・街並み(鹿児島市)

昭和36年、鹿児島市の文化通り。当時の紙面では道路が狭いため側溝の整備が遅れ、水はけの悪さを取り上げている。
昭和39年の鹿児島市の納屋通り。通行量は多いが、通り全体が不統一で軽快な明るさを失っている、と当時の紙面で指摘している。
昭和32年、ビル建設でにぎわう鹿児島市の中心街。「東京など大都会とはおもむきがかわり、中小企業の中層ビルが大半」
昭和34年、鹿児島市の与次郎ヶ浜。このころは浜辺があり、貝掘りなどの家族連れでにぎわっていた。
昭和37年、鹿児島市と合併をひかえる谷山市のメーンストリート。大鹿児島市建設構想のもと、道路拡張や舗装が着々と進む。
昭和37年8月、鹿児島市内。友だちを集め、縁側や庭で宿題の整理に大わらわの子どもたち。「ひょうたん棚を吹き抜ける風は、もう秋の気配」と当時の紙面。
昭和35年8月、鹿児島市天保山橋。夏休みもあとわずかとなったこの日、満ち潮の甲突川にさおをおろす少年たち。釣れるのはフナ、時たまハヤ。銀鱗が宙に浮かぶたび、見物人がどっとわいた。
昭和44年、鹿児島市の与次郎ヶ浜。昭和47年開催の太陽国体のメーンスタジアムとして整備を待つ。火の島をバックにここで若人の祭典が繰り広げられた。
昭和41年、鹿児島市田上町。住宅が密集し、狭い道路に人や車が行き交う。田上地区土地区画整理事業が翌年から着手された。
昭和44年の鹿児島市の高麗橋。「増える交通量に“交通安全か”“文化財保護か”をめぐる論議が燃え上がっている」と報じている。高麗橋は8・6水害による甲突川改修事業で平成7年3月に撤去された。
昭和42年、鹿児島駅周辺。この年、同駅からの優等列車、普通列車の始発着がなくなり、中間駅、貨物専用駅となった。紙面では直接影響を受ける周辺の商店・旅館街の不安の声を取り上げている。
昭和45年12月、鹿児島市原良地区の風景。「原良の柳も風情あります」と題し「原良通り堀の水はにごってもうつす影にはふぜいは消えぬ」と当時の紙面で紹介している。
昭和45年、鹿児島市の護国神社前バス停付近。当時は国道3号に市電が通っており、交通渋滞解消のためとはいえ、バス停と電停が50メートルほど離れていて利用者には「何かと不便」。。
昭和37年、鹿児島市の鹿児島刑務所前通り(当時)。玉江橋に至る甲突川左岸のハゼの並木道でハゼノキ馬場と呼ばれていた。「数十本の巨樹が茂り、錦絵のように色づいた紅葉が美しい」と紹介。
昭和37年、シダレヤナギが並ぶ鹿児島市の大黒通り。戦災で緑が消えた町づくりとして、さし木で苗木が育ち成長の早さを買われた柳が植えられた。
昭和51年、旧郡山町の中心街。『すべて鹿児島市が“青春をおう歌する場所”』となり、商店街は歳末大売り出しも出来ないほどさびしくなった。
昭和45年、春休み最後の日曜日、大勢の人でにぎわう鹿児島市の鴨池動物園。「満員御礼にゾウさんも一役」
昭和48年、与次郎ヶ浜の一角にそびえ立つマリンパーク。高さ41メートルの先端には32面体のボール、水面下には海中レストランがあり、ガラス越しに熱帯魚が見られた。
昭和31年6月、戦後禁止されていた鴨池動物園のボート池の「釣り堀」が一般に開放されるようになった。コイ、フナ、ボラ、ウナギなどが釣れ、入場料はおとな1日100円、こどもは50円。
昭和37年、鹿児島市磯公園(現在の仙巌園)のロープウエー。ゴンドラからは東洋のナポリとうたわれ、観光客に絶賛された鹿児島の夜景が眼下に広がる。昭和34年に設置され、平成5年8月に撤去された。
昭和36年、鹿児島市の中央市場。入荷が年々増加し収容限度をオーバーした野菜は、周辺の道路にまであふれた。市民の間から「交通マヒ」と非難の声が…と当時の紙面に報じられた。
昭和33年2月、鹿児島市鴨池の鹿児島空港。総ガラス張りの明るい姿で完成した“南の空の玄関口”鹿児島空港のターミナル・ビル。鹿児島空港は昭和32年7月に開港し、昭和47年4月、溝辺に移転した。
昭和49年、鹿児島市西田橋。当時の紙面には「川の流れには負けないが、時代の流れには逆らえず石橋取りこわしの話が聞かれるこのごろだ」。平成5年の8・6水害後、甲突川改修事業により平成8年2月に解体が始まった。
昭和38年、鹿児島市の城山遊楽園。観覧車や回るティーカップ、7分間で1回転し市内を一望できる回転展望台は人気だった。開園時の入場料はおとな30円、学生20円、こども10円。昭和37年10月に開園し、昭和46年9月に閉園した。
昭和41年、鹿児島市の新上橋下のロータリー。交通規制と都市美をねらってつくられたが、道幅が狭いなど設計上の問題からかえって交通混雑がひどくなり、つくりかえることになった。
昭和41年、鹿児島市照国町の鹿児島カテドラル・ザビエル記念聖堂(通称ザビエル教会)。赤い屋根、白い十字架のこの教会は昭和24年にザビエル上陸400年記念として建てられた。
昭和37年、城山遊楽園の観覧車。高さ13メートル、36人乗りで子どもたちに人気があった。搭乗料金は大人20円、子ども10円だった。
昭和39年桜島・袴腰の“溶岩釣り堀”。手軽に家族連れで太公望気分を満喫できるとあって、毎日200本の釣り糸がこの堀を埋めた。
昭和48年、鹿児島市永吉にあった鹿児島刑務所の石塀。「明治期最大級の石造建築物」といわれ多くの保存の声が上がったが、昭和61年に吉松へ移転、正門だけ残し全面解体された。現在は多目的スポーツ施設の鹿児島アリーナとなっている。
昭和39年、郡山町(当時)の花尾神社の二の鳥居。紙面では「むかし同社には3つの大鳥居があったが、現在は1つだけ。このため町民から浄財を集めようやく二の鳥居が再建された」と報じている。
昭和42年の喜入駅。「喜入駅通勤者会の人たちが労力奉仕、緑の少ない喜入駅に少しでもうるおいを、と殺風景な駅前広場に見事な築山(つきやま)を造った」と報じている。
昭和43年、吉田村(当時)本城小の築52年になる木造校舎。当時、村財政難を理由に本名小へ統合する話が持ち上がり、校区内では「児童の足らない点は父兄の熱意でカバーする」と反対運動が起きた。
昭和35年5月に開園した桜島遊園地。「水族館前の広場を利用し、背景の溶岩を最大限とりいれたもの。ご自慢は溶岩の中を500メートル走る世界各国めぐりの列車」と当時の紙面で紹介している。
文化通り
納屋通り
ビルブーム
与次郎ケ浜
旧谷山市
夏休みもあす限り
天保山橋で魚釣り
国体を待つ与次郎ケ浜
田上町
高麗橋かけ替え論議
鹿児島駅周辺
原良の柳
護国神社前バス停
ハゼノキ馬場
大黒通り
客奪われる商店街
鴨池動物園
マリンパーク
鴨池動物園ボート池
磯公園ロープウェイ
中央市場
鴨池空港
西田橋
城山游楽園
広すぎたロータリー(新上橋)
ザビエル教会
城山游楽園の観覧車
桜島の釣り堀
旧鹿児島刑務所の石碑
花尾神社の二の鳥居
喜入駅の築山
築52年の木造校舎
桜島遊園地




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