風景・街並み(大隅)

昭和30年1月、旧大隅町の市外地区商店街。当時の紙面は「同月二十日に三町村が合併して大隅町が発足。岩川駅を中心とする市街地区は国や県の出先機関や会社工場などが密集し、鉄道やバスなど交通の要点としてますます発展が予想される」と報じている
昭和57年5月、旧大隅町の恒吉太鼓橋。紙面によると橋には雑木が茂り、土に埋もれているところもあったが、同町が文化財に指定したことで「七十年ぶりに“発掘”された」と報じている。
昭和37年12月、旧志布志町の権現橋と重要幹線道路。紙面によると、重要幹線工事は26年着工。「千軒近い家屋の移転などの難事業を伴って十年の歳月を費やしたが、この夏完成した」と報じている
昭和44年6月、大崎町の製糸工場。当時の紙面は「同工場は年間三十六トン、約二億円の絹糸を生産。しかしグングン伸びる養蚕熱とは逆に、求人難による人手不足でSOSを訴えている」と伝えている。
昭和32年4月、旧垂水町のアーチ型交通安全標識。紙面は「同町ではことしに入ってすでに6件の交通事故が発生。このほど3地区にアーチ型安全標識をたて、事故防止への協力を求めている」と伝えている。
昭和48年4月、垂水港。当時の紙面は「定期連絡船がのどかな汽笛を鳴らし1日12往復。カー時代を反映して大型フェリー誘致も決まり、着岸施設建設と港内のしゅんせつ工事が急ピッチで進んでいる」と報じている。
昭和27年7月、旧高隈村の集落。紙面によると「笠野原台地の畑地を美田に作りかえるため、昨年八月からダム建設調査が行われている。ダムが完成すると、3集落150戸が湖底に沈むことになる」と伝えている。
昭和45年5月、鹿屋市の中央公園。「いま3階建ての体育館を建設中。四十七年の鹿児島国体までに大隅地方随一のスポーツセンターにしようと、急ピッチで整備が進められている」と紙面は伝えている。
昭和33年8月、鹿屋市北田交差点の信号機。当時の紙面は「鹿児島市以外の地方都市に自動信号機が初めて完成。初めて信号機を見る人も多く、十三日の試験ではとまどう人がたくさん」と報じている。
昭和46年、鹿屋市の荒平天神。紙面によると「ここの海岸は一昔前まで肝付地方の人々にとって唯一の海水浴場だったが、プールやマイカーの増加などでさびれてしまった」と報じている。
昭和33年3月、鹿屋市の鹿屋橋。紙面によると「橋は車道6メートル50、両側に2メートルずつの歩道をもつ鉄筋コンクリート製。同月十五日に完工祝賀式が開かれた」と伝えている。
昭和50年2月、鹿屋市の田崎踏切。「同踏切は朝夕のラッシュ時に数百メートルもの車の行列ができ交通のネック。市が立体交差計画を進め、ことし夏にも着工する」と紙面は報じている。
昭和41年1月、旧高山町の旧郷士の家。紙面によると「百三十五年前に建てられ、県下でも2、3番目に古い民家。近々解体され、指宿で復元、観光資源としてひと役買う」と伝えている
昭和36年10月、旧高山町の中心街。当時の紙面は「同町はことし町制施行三十周年。中心街は日一日と近代美を備えて“あすの営農先進地”をめざし力強く前進している」と伝えている。
昭和26年9月、有明橋。紙面によると、橋は高山町と隣の東串良、大崎町を結び、幅6メートル、長さ40メートルの木橋。「長いことではおそらく九州一として有名なものだ」と報じている。
昭和48年8月、旧内之浦町の“ロケット白干し”。紙面によると「同町の水産物加工業者が、フグとカワハギをミリン干しにした新しいみやげ品として製造。1袋の値段が手ごろとあって、飛ぶように売れている」と報じている。
昭和58年1月、東串良町の備蓄基地建設予定地。紙面は「志布志湾国家石油備蓄基地建設がことしから本格的に始動。五十八年度内の早い着工をめざす」と報じている。
昭和40年、旧大根占町の大根占港。紙面は「同港は昭和八年の着工以来、総工費1億円で同二十九年に完工。ここ2、3年前から利用度が増え、港の拡張改修などを町をあげて中央や県に陳情中である」と報じている。
昭和36年8月、旧佐多町の人間魚雷進水路。紙面によると「本土決戦を前に日本海軍が最後の運命をかけて作った新兵器の基地が同町間泊にあった。子どもたちが無心に遊ぶ海岸には、いまなお人間魚雷の発進に使った進水路が残っている」と伝えている。
昭和39年8月、旧大隅町の菅牟田小に完成した簡易プール。紙面によると、プールは横6メートル、縦15メートル、水深80センチ。「PTAや校区の消防団などが共同で工事を始め、二週間がかりで造りあげた」と伝えている。
昭和40年11月、旧末吉町の高峯テレビ中継所。当時の紙面は「中継所は夏から工事が進められ、ほぼ完成した。十二月から鹿児島の放送の視聴が始まり、同町では『県内のローカルニュースが見られる』と大喜び」と伝えている。
昭和31年5月、旧財部町の田平公民館。紙面によると「田平集落では財部小学校の廃校舎を払い下げ、同集落の寄付二十二万円など総工費三十五万円で、四十三坪の立派な公民館を造り上げた」と伝えている。
昭和38年、旧末吉町の住吉神社。当時の紙面は「同社は住吉山の中腹にあって、山の周囲は4キロ余り。神社の祭りは町をあげてにぎわい数千人が参拝。隣接町に行っているものまで実家に帰り、役場や銀行などは休みとなる」と伝えている。
昭和24年6月、旧大隅町の岩川公民館。当時の紙面は「同公民館はコバルト色のペンキもあざやかな約八十坪の木造二階建て。県下でも数カ所しかない独立家屋で同月四日に開館した」と報じている。
昭和37年8月、旧松山町松山小の子供の家。「学校には珍しいアズマヤ風の“子供の家”で、開放的で公園のような雰囲気。生徒のクラブ活動に活気をあたえている」と紙面は伝えている。
昭和28年8月、旧志布志町枇榔(びろう)島のバンガロー。当時の紙面は「島のモダンな休憩所には売店ができ、バンガロー六棟も完成。連日満員で島始まって以来の盛況をみせている」と伝えている。
昭和30年2月、旧松山村役場と農協。紙面によると「同村の人口は八千二百三十一人で約九十パーセント近くが農家。優良肥育牛の産地として知られ、畜産同好会がある集落もある」という。
昭和28年9月、旧志布志町の即心院跡(島津家の墓所)。当時の紙面は「同町の名所旧跡である即心院跡にいつの間にか民家が建てられ、史跡保存会の人々をやきもきさせている」と報じている。
昭和37年、旧志布志町の志布志港。当時の紙面によると、同港は平面荷揚げ場百四十メートルで「五百トン級貨物船が六隻も横着けすれば身動きもできない。でんぷん最盛期にはでんぷんの山で足の踏み場もなくなる」と伝えている。
昭和37年12月、垂水市の県果樹試験場に完成した簡易ケーブル。紙面は「自動かん水、施肥施設と簡易ケーブルがこのほど完成。人手不足を解消する近代果樹園経営のモデルケースとして注目されている」と伝えている。
昭和47年3月、垂水警察署。当時の紙面は「同署は鹿屋署との合併が決まり同年四月一日に“垂水幹部派出所”として再スタート。モルタルづくりの建物は間もなくこわされ、四十年の歴史を閉じようとしている」と伝えている。
昭和43年、垂水駅。紙面によると「駅は昭和三十六年四月に開設。国道220号線をひっきりなしに走るバスにお客を奪われ、駅はさびれる一方」と報じている。
昭和47年10月、鹿屋市の西原ボウリングセンター。「鹿屋女子高近くにワンフロア30レーンのボウリングセンターがオープン。肝付地区では最大で、レストランも併設しレジャーセンターをねらう」と紙面は伝えている。
昭和26年12月、旧鹿屋市役所。紙面は「市役所は鉄筋3階建てで外部は白色、入口はムラサキ、内部はタマゴ色のモダンな建築。十五日に落成式を挙げることになった」と報じている。
昭和28年11月、鹿屋市の西原総合グラウンド。「現在400メートルトラックの陸上競技場を建設中。植物園や動物園併設の計画もあり、完成すれば西原は“鹿屋の鴨池”になる」と紙面は伝えている。
昭和32年10月、鹿屋小学校の半円型校舎。紙面によると、校舎は8教室225坪。「半円型校舎がメガネのように2むね並び、面白い調和をみせている」と伝えている。
昭和39年3月、鹿屋市の鹿屋高校図書館。紙面によると「2万冊を収容できるデラックスな図書館がこのほど完成。鉄骨ブロックの外側はグレーで落ち着いた構え」と伝えている。
昭和48年11月、鹿屋市の桜デパート。当時の紙面は「同デパートは地上4階(一部5階)売り場面積3300平方メートル。従業員180人だが、売り場を倍増するため目下増築中」と報じている。
昭和51年11月、鹿屋市の旧バスセンター。当時の紙面は「バスセンター跡は市内目抜き通りの中心部にあり、4年近く放置された格好。老朽化が著しく、美しくなる町並みに“逆行”している状態」と報じている。
昭和43年、鹿屋市の高須駅。「冬場は人影もまばらだが、夏の海水浴シーズンはどっとにぎわう。昨シーズンで4万910人の乗降客があり、駅員さんはてんてこまいの忙しさ」と紙面は報じている。
昭和50年11月、鹿屋市の交通公園。紙面によると「県内で初めての本格的な交通公園が完成。横断陸橋や信号機のほか、ブランコやすべり台などもあり子供の遊び場にはうってつけ」と伝えている。
昭和31年8月、完成した鹿屋小学校のプール。当時の紙面は「シャワー施設や脱衣所を完備した立派な25メートルプールが完成。同月十日にプール開きが行われた」と報じている。
昭和51年7月、旧吾平町の消防会館。紙面によると、同館は木造かわらぶき2階建て、一部3階の望楼つき。「近く取り壊して改築する予定で火の見やぐら風の情緒を惜しむ声も強い」と報じている。
昭和45年8月、旧串良町の串良駅。紙面は「同駅は隣の東串良駅との間が600メートルと、日本一短いことで有名。機関車に乗り遅れた人が東串良駅で飛び乗って間に合うということもあった」と報じている。
昭和26年9月、東串良町役場。当時の紙面は「同役場は5月に落成した240坪、2階建てで白亜(白い壁)の庁舎。訪れる人に若々しい伸び行く町といった感を与える」と伝えている。
昭和46年2月、旧根占町の南大隅高校跡。紙面は「ここは明治時代の偉人・中村博愛の誕生地。いまは古校舎を利用して町商工会、公民館、図書館が同居している」と報じている。
昭和55年6月、旧根占町の諏訪神社の鳥居。紙面によると「高さ約5メートル、幅約3メートルの同じ大きさのものが並ぶ“ナゾの鳥居”。参拝者も『どっちをくぐるのやら』と思案顔」と伝えている。
昭和39年12月、旧大根占町宿利原小のサイレン塔。紙面によると、塔は高さ13メートル、紅色のペンキでぬり上げられ、工費16万円。「ベルタイマーで午前8時、正午、午後6時の3回サイレンが鳴らされる」と伝えている。
昭和39年7月、佐多岬ロードパーク。紙面は「夏の観光シーズンを迎えて、連日訪れる観光客でにぎわっている。有料道路の許可もおり、乗り換えの不便も解消。本格的に佐多観光の宣伝に乗り出す」と報じている。
昭和45年9月、旧佐多町の伊座敷港。当時の紙面は「山川-伊座敷港を結ぶ、フェリーボート620トンが就航。観光客や旅行者は1日で錦江湾一周が楽しめるようになっている」と伝えている。
旧大隅町の商店街
旧大隅町の恒吉太鼓橋
旧志布志町の権現橋
大崎町の製紙工場
旧垂水町のアーチ型交通安全標識
垂水港と連絡船
ダムに沈む予定の旧高隅村の集落
鹿屋中央公園
鹿屋市初の自動信号機
鹿屋市の荒平天神
鹿屋橋
鹿屋市の田崎踏切
旧高山町の旧郷士の家
旧高山町の中心街
有明橋
旧内之浦町の”ロケット白干し”
東串良町の備蓄基地建設予定地
大根占港
旧佐多町の人間魚雷進水路
菅牟田小(旧大崎町)のプール
旧末吉町の高峯テレビ中継所
旧財部町の田平公民館
旧末吉町の住吉神社
旧大隅町の岩川公民館
旧松山町松山小の子供の家
枇榔(びろう)島のバンガロー
旧松山村役場と農協
旧志布志町の即心院跡
旧志布志町の志布志港
県果樹試験場の簡易ケーブル
垂水警察署
垂水駅
鹿屋市の西原ボーリングセンター
旧鹿屋市役所
鹿屋市の西原総合グラウンド
鹿屋小学校の半円形型校舎
鹿屋高校図書館
鹿屋市の桜デパート
鹿屋市の旧バスセンター
鹿屋市の高須駅
鹿屋市の交通公園
鹿屋小学校のプール
旧吾平町の消防会館
国鉄古江線の串良駅
東串良町役場
旧根占町の南大隅高校跡
旧根占町の諏訪神社の鳥居
旧大根占町宿利原小のサイレン塔
佐多岬ロードパーク
旧佐多町の伊座敷港




広告