出来事(昭和41年~50年)

昭和40年2月、試運転が始まった鶴田ダム直下の川内川第一発電所。紙面は「昭和39年11月から貯水を始め、86日目での試運転。一号水車にスイッチが入れられると、ダムの水は銀色に輝く大導水管をはじめて通り、発電機の水車を回し、川内川に渦を巻いて流れていった」と当時の様子を報じている。
昭和40年4月、放水を始めた鶴田ダム。当時の紙面は「治水と発電の多目的ダムとして建設省が建設したダムがついに完成。大きな洪水被害をもたらした『あばれん坊』の川内川に手をやいていた流域県民は、多年の悲願を達成でき、喜びをかみしめていた」と伝えている。
昭和40年4月、完成し見物客でにぎわう鶴田ダム。「地元民や、世紀の完工式をひと目みようと、鹿児島市から貸し切りバスでやってきた人が、早朝からダムサイトに詰め掛けた。式が済むと待ち構えていたようにえん堤の上に押し掛け、“西日本一”の威容を誇るダムに目を見張っていた」と紙面は報じている。
昭和40年4月、サイレント拡声器のテストを始める“放流警報局”。当時の紙面は「警報局は建設省が川内川流域9カ所に施設した無人局。鶴田ダムが大量の貯水を人工放流した場合、急に川の水位が上がるので、下流の被災防止のために建設した」と伝えている。
昭和40年5月16日、県青少年問題協議会が呼びかけていた『家庭の日』がスタートした。紙面によると「鹿児島市内の島津興業など関係10社は、磯公園広場で家族ぐるみの大運動会を開催。県内各地から600人が集まり、親子ともに一日を楽しんだ」という。
昭和43年8月、宮之浦川でボラ釣りが最盛期に。当時の紙面は「河口付近には釣り船十数隻が並び、水面に糸をたれる姿が連日見られる。エサはふかしたカンショと米を練り合わせたダンゴ、まきえにもカンショを使う。2キロ、3キロの大物や、日に30匹もあげる人もいた」と報じている。
昭和43年12月4日、屋久島一周道路のネックになっていた宮之浦大橋が完成。当時の紙面は「島最大の宮之浦川を渡す長さ150メートルの鉄筋コンクリート橋が完成し、2日渡り初めが行われた。これまでの橋には歩道が無く、歩行者が危険な目にあっていたが、新橋には両側に1.5メートルの歩道が整備された」と報じている。
昭和43年12月30日、沖永良部空港に到着した第一便の出迎え風景。当時の紙面によると「新設された沖永良部空港に待望の一番機が到着、島民あげて出迎えた。正式な空港開きは4月だが、特別運航が認められ、12月29日に鹿児島発奄美空港経由で約20人の観光客らが訪れた。機長や女性乗務員らに花束やレイが贈られ、ターミナルでは祝賀式典も行われた」などと報じている。
昭和44年6月、県教育センターで行われた新任教頭の教育講座。「新任の教頭には、幹部としての厳しい職務心得が伝授された。どの先生も熱心に勉強。その真剣な表情はさすがに先生らしい」と紙面は報じている。
昭和44年6月、県教育センターで20センチの天体望遠鏡で天体観測する先生たち。紙面によると「県が吉田村(現鹿児島市)に総工費4億1500万円をかけて建設した教育センターは超デラックス版。各地から“勉強する教師たち”がつめかけ、泊まりこみでカンづめ研修をうけている」と伝えている。
昭和44年6月、小学校の女教師たちが県教育センターの電気教室で弱電気の勉強。紙面は「“おなご先生”たちは電気の知識、生物の解剖など、もっぱら理科学習の“実際と応用”の手ほどきを受けた。新しい時代の教師は教えるだけでなく、自らもまた学ぶ」と伝えている。
昭和44年6月、万一の海上火災に威力を発揮する化学消火艇。紙面は「“東洋一のマンモス原油備蓄基地”日本石油KK喜入基地は、10月操業を目指して工事は順調に進んでいる。フル操業後に万一火災になった場合に備え、1隻当たり2億1000万円をかけて建造した化学消火艇が配置される」と伝えている。
昭和44年9月、喜入原油基地であった防災訓練で、大型消火器を使う基地自衛消防隊。「オイルセパレーター横に設けられた池にガソリン20リットルをまいて点火。消化液“エアフォーム”を使って消火訓練を行った」と紙面は伝えている。
昭和44年9月、喜入町(現鹿児島市)の喜入原油基地で放水するタグボート。紙面によると「7日後の大型タンカー第1船『かいもん丸』基地入りを控え、油火災を想定した防災訓練が行われた。タグボート自慢のドイツ式キャノン砲の消火銃が化学消火剤を混ぜた海水を1分間に3000リットル放射、消火した」と報じている。
昭和44年9月、かいもん丸の入港を見物する喜入町(現鹿児島市)民。「入港の模様が見渡せる国道沿いの護岸では、付近の人や通りがかりのドライバーが目前に大きさを増すタンカーにしばし感嘆。子どもや主婦をまじえて海岸に望遠鏡を据え、ムシロを敷いての見物」と紙面は報じている。
昭和44年9月、第1船のマンモスタンカー「かいもん丸」が喜入に到着。紙面は「タンカーは全長300メートル、幅48.2メートル、船底24メートル。はるか1万キロ離れた中近東のイランから運ばれた原油が本土最南端の原油タンクに納まった」と当時の様子を伝えている。
昭和44年9月、次々と固定される送油管と船をつなぐローディングアーム。当時の紙面は「イラン原油を満載した17万5000トンの大型タンカー『かいもん丸』が12日入港。“世界一のマンモス原油基地”を目指して、基地がいよいよ操業を始めた」と伝えている。
昭和44年9月、衝撃を吸収する特殊構造の桟橋に横付けしたかいもん丸。「『かいもん丸』の入港で操業を始めた日石喜入基地。わが国の経済発展に新機軸をもたらすとともに後進地域といわれる鹿児島県の地域開発に大きくプラスするものとして期待される」と紙面は伝えている。
昭和44年10月、喜入町(現鹿児島市)の日石喜入基地で、陸上のパイプ施設から原油20トン余りが基地内に噴出、そのうち5トンほどが海面に流れ込むという事故が起きた。紙面は「同基地はろう油回収船などで油中和剤を投下し回収に努めたほか、オイルフェンスを張り、海上汚染をくい止める作業を続けた」と報じている。
昭和46年1月、正月を種子島で過ごした帰省客が本土に帰るため、大混雑した西之表港。紙面によると「前日に台風並みの大シケで定期船が欠航。例年にも増して超満員となった」などと紹介している。
昭和46年4月、埋め立てが進む名瀬港周辺。当時の紙面によると「市街地の過密化を解消するため、埋め立て事業を進めている旧名瀬市。完成すれば総面積70ヘクタールとなり、現在の市街地面積約210ヘクタールの3分の1に当たる、ニュータウンが海縁に誕生する」と伝えている。
昭和47年8月、川内内港岸壁。当時の紙面では、「航路新設の認可遅れで延び延びになっていた甑島航路定期船の川内寄港がやっと実現、第一船の九州商船所属、野百合丸が川内港に初寄港、満員の乗客を乗せて甑島に向かった」と伝えている。
昭和47年4月、旧吉松町八幡神社の黒牛の木像。当時の紙面は「像は体長九十センチ、高さ四十八センチで三百年前の年号入り。同町教委が標柱や案内板を立て保存に力を入れる」と伝えている
昭和47年4月1日、“南九州の新しい空の表玄関”鹿児島空港がオープンした。2500メートルの真新しい滑走路から一番機がごう音を響かせて飛び立った。紙面では「一番機は東京行きのボーイング727。ブラスバンドの演奏の中、一番機はするすると滑走路へ。午前8時、南から北へジェット機は軽々と舞い上がり、上空を右に旋回して、東の空に飛び去った」と報じている。
昭和47年4月1日、新鹿児島空港オープン初日、香港からチャーター機で飛んできた観光団の一行。紙面では「約8万人の人出でごった返す空港周辺で、ひときわ花やぐ国際線ロビー。『カゴシマ・エアポート、ベリーナイスネ』-。ミニやパンタロンの若い娘さん、派手に着かざった中年婦人、スマートな紳士たち…。顔こそ日本人と違わないが、香港からの第一便が到着した同ロビーは“国際カラー”であふれた」と報じている。
昭和47年6月、旧国分市野口のシ尿処理施設増設反対派が建てたやぐら。紙面によると「反対派は施設の進入路上にやぐらを建てたり、道路脇に穴を掘るなど着工阻止に実力で対決する姿勢をみせている」と伝えている。
昭和47年12月、九州学院大学の教材用双発機。「工学部航空工学科の教材用に東京の新聞社から購入。羽田から四時間二十五分かけ鹿児島空港に着いた」と紙面は伝えている。
昭和48年2月、西之表市池田三文字に設置された交通信号機。紙面によると「種子・屋久の3カ所に初めて信号機が設置された。西之表市の池田三文字では榕城小学校の児童が横断の仕方を勉強し練習した」と報じている。
昭和49年1月、開通に向け欄干が取り付けられる黒之瀬戸大橋。紙面によると、同大橋は昭和47年4月に着工。「年末から歩道部分の両わきにつける“らんかん”の取り付け作業が進められ、長島島民が待望した橋の架橋工事はあと3カ月で完工。いよいよ4月上旬には開通する」と報じている。
昭和49年4月10日、黒之瀬戸大橋開通の祝賀会で披露された婦人会員らの手踊り。紙面は「東、長島両町(現長島町)で開通の祝賀祭りがあり、長島町は全町民が会場の長島中学校までパレード。婦人会員の踊りなどがあり、町民は焼酎をくみ交わしながら“離島脱出”を喜び合った」と報じている。
昭和49年4月9日、黒之瀬戸大橋が開通し、3市町の三代夫婦22組を先頭に両側から渡り初めした。「『離島から半島へ』という1万5000長島住民の悲願成就を祝った」と紙面は伝えている。
昭和49年10月、指宿市の池田湖が異常減水した。当時の紙面には1年間に湖面が2.2メートル下がったとあり、「池田湖周辺の民家では、井戸水や温泉が枯れ、不安に包まれている」と報じている。
鶴田ダム、試運転始まる
放水を始めた鶴田ダム
見学者でにぎわう鶴田ダムえん堤
テストが始まる鶴田ダムの放流警報局
初の家庭の日に開かれた運動会
宮之浦川のボラ釣り最盛期/屋久島
待望の宮之浦大橋が完成/屋久島宮之浦
沖永良部空港に到着した第一便をレイと花束で出迎え
県教育センターで新任教頭の教育講座
天体望遠鏡で天体観測
弱電気の勉強をする女教師
海上火災に威力を発揮する科学消火班
大型消火器で訓練中の基地自衛消防隊
防災訓練で放水するタグボート
巨大タンカー到着を見学する喜入町民
第1船のマンモスタンカーが到着
固定されたローディングアーム
桟橋に横付けしたかいもん丸
海面にあふれた原油に中和剤を放射する作業員
帰省客でごった返す西之表港
海に伸びるニュータウン/名瀬
定期航路スタート
旧吉松町八幡神社の黒牛の木像
”空の表玄関”オープン
”開港一番”ベリーナイス
シ尿処理施設増設反対派のやぐら
九州学院大学の教材用双発機
種子島にも信号機設置
開通に向け工事が進む黒之瀬戸大橋
黒之瀬戸大橋開通を祝う婦人会員の手踊り
開通した黒之瀬戸大橋開通で渡り初め
池田湖が異常減水




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