出来事(昭和61年~)

昭和61年7月、日本航空の国内ローカル線進出の皮切りとなる東京-鹿児島線が就航した。紙面は「鹿児島線は幹線以外では全国初のトリプルトラッキングとなり、本格的な空の自由化時代を迎えた。羽田、鹿児島空港では、1番機の就航を祝って、盛大なセレモニーが行われた」と報じている。
昭和62年2月、再開発へ動き出す西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)東口十番街区。紙面によると同地区はパチンコ店や飲食店などが密集する一角で、広さは約4300平方メートル。「モデルプランでは地上8階、地下1~3階の再開発ビルの建設が考えられているが、今後の基本調査などで煮詰める」と伝えている。
昭和63年6月11日、ヨット仲間、取材陣、幼稚園児と多くの人に励まされる今給黎さん。紙面では「世界初の女性単独太平洋往復横断。薩摩おごじょ今給黎さんのボッケな挑戦に、見送りに駆けつけた市民たちも興奮気味。小柄な体で、大きな夢をかなえようとして大海原へ羽ばたく姿に、大きく温かな励ましの声をかけた。岸壁はテレビ各社、雑誌関係のカメラマンもぎっしり。上空には取材ヘリも2機舞い、高まる気分をかきたてた」と報じている。
昭和63年6月11日午前11時10分喜入町沖、伴走するヨット仲間から海上で激励される今給黎さん。紙面では「鹿児島市の平川ヨットハーバーから太平洋単独往復の旅に出発した今給黎教子さんのヨット『海連垂乳根』号は、仲間の艇十数隻に見送られながら錦江湾を南下。途中涙の別れをくり返し、佐多岬からは文字通り独りぼっちで、北太平洋海流の流れる北緯三五度線を目ざした」と報じている。
昭和63年12月30日午前10時25分、屋久島の東約8キロの海上。紙面では「波を切り風を切って真っ白な船体が一路鹿児島を目ざす。鹿児島市のヨットウーマン今給黎教子さんの『海連垂乳根』。鹿児島を出航して202日。女性による初の太平洋単独往復達成は目前だ。ヨットは長旅のあととは思えないほど輝いている。デッキに姿を現した教子さんの笑顔にも疲れは見えない。往復22000キロの旅に挑んだ薩摩おごじょは31日鹿児島新港にゴールインする」と報じている。
昭和63年6月1日、全国でも初めての県ウミガメ保護条例が施行、産卵地を抱える県内の主要15市町村では監視員によるパトロール制度などが始まった。写真は同年9月4日午前6時20分、礒海水浴場。子供たちが見守る中、海をめざす子ガメたち。紙面では「薄暗い海岸には約800人の市民が詰めかけ、懸命に海をめざすカメたちを声援。体長5センチ足らずの小さな群れは、今年も53万都市の片すみに大きな自然のロマンを残して旅立っていった」と報じている。
平成元年、のぼりを掲げて先生を出迎える小宝島の人たち。「昭和五十四年に廃校になって十年ぶりに宝島中小宝島分校が再興。鹿児島市から生徒が1人転入し、若い先生が2人赴任してきた」と紙面は報じている。
日本航空 東京―鹿児島線が就航
本格着工を求め、ガンバロウ三唱
今給黎さん 岸壁で壮行会
仲間の艇に見送られて
今給黎さん、ゴール目前
全国初、ウミガメ保護条例
先生を出迎える小宝島の人たち