鉄 道(風景・出来事)

昭和40年10月1日、西鹿児島駅発、関西・東京行きの特急「かもめ」「富士」「あかつき」の3本が増発され、記念式典やパレード、花火など祝賀行事がはなやかに繰り広げられた。写真は出発する「かもめ」。
昭和45年7月、国鉄鹿児島本線の電化時代の幕開けを告げる熊本-鹿児島間電化工事が完成。試運転列車第1号が出水駅に着いた。紙面は「電化工事は54億円をかけて昭和43年3月から着工し、これで鹿児島本線は全線電化、8月末までテストや練習運転を繰り返し、10月1日から営業を始める」と報じている。
昭和45年10月1日、国鉄鹿児島本線は全線電化に衣替えし、新しい輸送体制でスタートした。紙面は「電化運転1番列車『かいもん1号』はあずき色とクリーム色のツートンカラー。発車式は西鹿児島駅4番ホームであった。知事らが紅白のテープにはさみを入れ、ばんざいの声の中を列車はスタートした」と報じている。
昭和46年、国鉄古江線を走る列車。紙面は「同線は総延長64.8キロ。十年ほど前に古江-海潟間の路線を延長、日本一の近距離駅や1つの市に駅が7つあるなど話題にこと欠かない」と伝えている。
昭和54年10月、日豊本線・鹿児島-南宮崎間の電化工事完工で九州を環循する電化路線の開通を祝う発車式・開通式。当時の紙面は「電化第1便の急行『錦江1号』が西鹿児島駅のホームに入ると前面に日の丸が飾られ、紅白のテープが渡された。狭いホームは制服姿の国鉄幹部や関係者、ファンなどでぎっしり。線路ぎわには鉄道マニアたちがカメラの放列を構え、車内からマイクを据え発車式のもようを録音する若者も」と報じている
昭和54年9月、日豊本線電化開業にともない、国鉄名物の一つ「ディーゼル機関車DF50」が退役。紙面は「SLブームの影であまり注目を浴びなかった“老兵”だが、機関士たちにとっては捨て難い味をもった名車。30日には“さよなら運転”のセレモニーを行い、最後の汽笛を鳴らしたあと解体される。花形時代の38年には131両が全国で走っていたが、10月1日からは九州には1台もいなくなる」と伝えている。
昭和54年9月、日豊本線電化開業にともない増設されたCTC(列車集中制御装置)。紙面によると「最新の電子技術でポイント、信号機を遠隔操作するシステムを導入し安全性の向上を図った。電化により宮崎-西鹿児島駅間は15分ほど時間短縮され、動力のコストも半分近くに減る」と伝えられている。
昭和55年9月、「国鉄再建法案」で廃止の対象になっている山野線の菱刈駅が走らせた“お座敷列車”。紙面によると「団員240人を募って長崎までの観光列車。赤字解消へ懸命な努力を続けるローカル駅の心意気に、菱刈町(現伊佐市)も全面的にバックアップした」と報じている。
昭和55年11月、ローカル線廃止反対を訴えて志布志町(現志布志市)の志布志駅前で座り込む国労、動労の組合員。当時の紙面は「ローカル線廃止対象の大隅、志布志両線と日南線につながる同町では午前10時から駅前に畳を敷き座り込み。志布志線を守る会の代表らが乗降客にスピーカーでアピールした」と報じている。
昭和60年1月、国鉄廃止対象に挙げられている宮之城線。当時の紙面では、国鉄樋脇駅は昭和元年に開設され、ちょうど還暦。宮之城線は60年の間に静まりかえった。駅周辺は開通当時より人家が増えているのに、現在の乗降客は通学生が乗り降りする朝夕をのぞくとひっそりしたもの。レールをベニヤ板が風に鳴る駅舎からのぞくと、定年退職者の背中が見えてくる気がするなどと報じている。
昭和60年1月、かつての“黄金の日々”をしのばせる国鉄山野線の布計駅舎。当時の紙面には、戦前は月間産金量100キログラムを記録し、従業員も900人いた布計鉱山。布計駅は山野線沿線で乗降客数第1位だった。戦後昭和46年に採掘が再開されたが、52年に閉山された。金鉱山の盛衰を見守ってきた布計駅。“黄金の日々”には予想だにしなかった山野線の廃止が現実のものになろうとしている、と紹介されている。
昭和60年1月、着工準備作業所開設の祝賀会で据えられた1トン近い新幹線の氷彫刻。「九州新幹線の整備計画決定以来、実に12年。背水の陣でのぞんだ陳情活動が見事、実を結び、約300人の県政財界関係者で埋まった会場は祝賀ムード一色。彫刻を前に『もうすぐ本物もくるぞ』と喜びの声が上がった」と紙面は伝えている。
昭和60年1月、再開発前の鹿児島市の西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)周辺。紙面は「第一次オイルショック以後、観光客らの足が遠のき、さびれるばかりだった西駅地区にとって、新幹線は“救世主”となりうる。駅ビル建設を核とした西駅周辺再開発構想以上に、新幹線乗り入れに大きな期待を寄せている」と伝えている。
昭和60年7月13日、鹿県内の廃止対象路線となった4線沿線に不安広がる。当時の紙面は、宮之城、山野、大隅、志布志の4線は廃止・転換へ向かって敷かれたレールの上を走り始めた。『仕方がない』『残念』。沿線の住民は予期していたこととはいえ、現実のものとなってきた廃止にあきらめ、憤りをあらわにする。今後、学生や高齢者など鉄道に頼っていた住民の足はどうするのか。沿線に新たな不安が広がり始めているなどと伝えていた。
昭和61年6月5日、国鉄(現JR)宮之城線がバスに転換されることが決まった。紙面は「沿線は来るものがきたというあきらめと、今後を案じる声が走った。レールを頼りに生活する、通学生やお年寄りへの影響はさけられない」と報じている。
昭和61年、鹿屋市天神町子供育成会は10年前から国鉄(現JR)大隅線・荒平駅の美化に努めてきた。紙面は「育成会は『大隅線を廃止しないで』と、存続の願いを込めて荒平駅の清掃をしている。おかげで無人駅は清潔そのもので、利用者から喜ばている」と報じた。
昭和61年12月、国鉄(現JR)宮之城線に別れを告げる臨時さよなら列車。紙面は「始発のさよなら列車は西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)から31人が乗り込み、定刻通り発車。乗客それぞれの思いを乗せ薩摩大口へ向かった」と報じている。
昭和61年12月、国鉄(現JR)宮之城線廃止記念行事。写真は宮之城はじめ、4駅分セットで発売された記念入場券。紙面は「1月9日限りで廃止される国鉄宮之城線に別れを告げる記念行事が決まった。式典ほか、記念乗車券の発売、さよなら列車の運転を計画している」と報じている。
昭和62年、廃止まで5日と迫った国鉄(現JR)宮之城線(川内-薩摩大口)は沿線一体に鉄道マニアや団体客、家族連れが詰めかけ大にぎわい。紙面では「この日、宮之城駅には、記念乗車券などの問い合わせが全国から相次ぎ、臨時列車、普通列車とも満席状態。大人も子供もカメラを片手に消えゆく鉄路に名残を惜しんだ」と報じている。
昭和62年、消えゆく地域の足を記録にとどめておきたい-写真愛好家で作っている国分写友会は、国鉄(現JR)をテーマにした写真展を開いた。写真は大隅線を撮影する国分写友会。紙面では「写真展では住民の暮らしを支えてきた同線への感謝と惜別の念を込めた写真をそろえた」と報じている
昭和62年、3月13日に廃止される国鉄(現JR)大隅線。その大隅高山駅に1月10日付けで堀之内正和駅長が赴任。紙面では「任期はわずか2カ月だが、堀之内駅長は残された期間に職務をまっとうすることで、世話になった国鉄や利用者に恩返ししようと張り切っている」と報じている。
昭和62年3月、末吉町民約160人が廃止される国鉄志布志、大隅の両線を一周する「さよなら列車の旅」に出かけ、両線との永遠の別れを惜しんだ。紙面では「末吉町民の間に志布志線との別れを惜しむ声が根強いことから大隅線と志布志線を一周する旅が企画された。予想を上回る人気で座席がまたたく間に満席となった」と報じている。
昭和62年、国鉄(現JR)大隅線(国分-志布志間)が3月13日を最後に廃止され、71年の歴史に幕をおろした。写真はミス鹿屋の合図で鹿屋駅を出発する「さようなら列車」。紙面では「鹿児島県内の国鉄線廃止は宮之城線に次ぎ、2番目。同日は沿線各駅で別れを惜しむ行事が繰り広げられ、最後のにぎわいとなった」と報じている。
昭和62年、鹿児島県からまた1本鉄路が消えた。大隅半島を貫く頼みのパイプだった国鉄大隅線、13日最後の務めを果たした。沿線には多くの住民が詰めかけ慣れ親しんだディーゼルカーに愛惜の思いを込めて、別れの手を振った。紙面では「鹿屋駅では多くの人でにぎわった。駅長は『いつもこんなにぎやかだったら廃止されなくて済んだのに』と寂しげ。売店では記念品がよく売れた」と報じている。
昭和62年、国鉄(現JR)志布志線(西都城-志布志間)が3月27日を最後に廃止された。紙面では「沿線住民らはカメラを片手に各駅に集まって別れの式を開いたり、記念乗車をしたりして64年間住民の足として活躍してくれた列車に別れを告げた」と報じている。
昭和63年4月、西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)構内にできた自由通路。紙面によると、鉄筋コンクリート鉄骨造りで幅10メートル、長さ140メートル、高さ7メートル。「新幹線西鹿児島駅周辺環境整備事業の一環で建設が進められた。この通路は将来、新幹線が乗り入れた際のコンコースになる」と報じた。
平成6年9月、掘削が進む九州新幹線鹿児島ルートの第3紫尾山トンネル(薩摩川内市-出水市)南工区。紙面によると同トンネルは延長約10キロで平成3年9月に本格着工した。「掘削進捗は全体の3割強。南工区の切り羽では大型重機がうなり、発破で崩した土砂を運び出している」と伝えている。
平成8年4月、オープンを2カ月後に控え、着々と工事が進む西鹿児島(現鹿児島中央)駅。紙面は「『南の拠点』にふさわしい県都の駅完成は秒読み段階に入った。現在は内装工事に入っており、レンガ色になる予定の東口は大階段の取り付け工事が進行中だ」と伝えている。
平成8年6月、開業したJR西鹿児島(現鹿児島中央)駅新駅舎。紙面によると同駅は平成4年10月に着工。「新しい鹿児島の陸の玄関口が華々しくオープンした。式典には県などの関係者約300人が出席、鹿児島県悲願の九州新幹線の第一歩を祝った」と報じている。
平成10年4月、九州新幹線鹿児島ルート西鹿児島(現鹿児島中央)-八代間の54トンネルのうち、最も長い第3紫尾山トンネルの南工区と中工区が貫通した。紙面は「現地で関係者約270人が同ルート初のトンネル貫通を祝った。来年夏には残りの北工区ともつながり、全面貫通する」と報じている。
平成12年8月、西鹿児島(現鹿児島中央)駅と薩摩田上トンネルをつなぐ高架橋工事が進む。当時の紙面は「九州新幹線鹿児島ルートの建設はトンネル部分の工事が先行する形で始まったが、昨年から地上部分へ移り、工事が本格化。開通近しを実感できる状況になってきた」と伝えた。。
平成12年8月、出水市街地で進む九州新幹線鹿児島ルートの工事を見守る田の神様。「5日にあった出水駅高架橋の安全祈願祭で、同市を通る全区間が着工。明治9年から出水平野を見守り続けた田の神様には、高架橋を疾走する新幹線はどう映る?」と紙面。
平成13年8月、九州新幹線鹿児島ルートでレールの敷設工事が始まった。紙面によると「川内市(現薩摩川内市)の第三紫尾山トンネル坑口でレール発進式があった。テープカット後、レールを積んだ機械が自動的に前へレールを送り出す作業が披露された」と報じている。
平成14年1月、九州新幹線鹿児島ルート新八代-西鹿児島間で最長の川内市(現薩摩川内市)、川内川の橋りょうがつながり、連結式が行われた。「長さは338メートルで1999(平成11)年11月に着工し、総工費は約46億円。式は一般にも公開され、大勢の市民が集まった」と紙面は伝えている。
平成14年7月、西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)周辺で着工した九州新幹線鹿児島ルートの軌道敷設工事。「工事区間は塩鶴トンネル(市来町境)と同駅間約22キロ。西鹿児島-新八代間の最後の着工で、本年度中にはレール敷設が完了する予定」と紙面は報じている。
平成14年7月、鹿児島市から大型トレーラーで伊集院町(現日置市)の日本鉄道建設公団神殿基地に運ばれる新幹線のレール。当時の紙面は「北九州市の製鉄所で作られ、船で鹿児島港谷山二区に運ばれたあと陸送。全長25メートル、重さ1.5トンもあり、1台のトレーラーに積めるのは13本が限度」と伝えている。
平成14年8月、西鹿児島(現鹿児島中央)駅ビルの基本計画をJR九州が発表した。当時の紙面は「地下1階、地上7階の複合商業施設で、屋上に直径60メートルの観覧車を設置。駅舎右側の駐車場部分(写真)に建設される」と報じている。
平成15年3月、出水市の新幹線出水駅構内であった九州新幹線西鹿児島(現鹿児島中央)-八代間のレール締結式。紙面によると「関係者らが最後のレールをボルトで締めてコンクリート路盤を固定。同区間127.5キロのレールすべてがつながった」と報じている。
平成15年5月、大型クレーンが立ち並び、建設が進む西鹿児島駅ビル(現アミュプラザ鹿児島)。当時の紙面は「3月に着工し、現在は土台を支えるコンクリートくいをつくる工事が進む。工事現場には多くの大型クレーンが登場、道行く人の目をひいている」と報じた。
平成15年3月、九州新幹線一部開業前に西鹿児島駅構内に設置された、800系車両の座席。紙面は「実際に使われる座席と同じで、座りごこちも体験できる。一足早い新幹線の“一部登場”が、切符を求める客らの目を引いていた」と伝えている。
平成15年8月、未明の川内市街地(現薩摩川内市)を抜け、車両基地へ向かう新幹線車両「つばめ」。紙面によると午前1時、最初の車両がトレーラーに固定されて川内港を出発。「約21.5キロをパトカーや関係車両に誘導され、約2時間半かけて慎重に運んだ」という。
平成15年8月、川内港に到着し陸揚げされる新幹線車両「つばめ」。紙面は「山口県から台船に載せて運ばれてきた第1編成6両(長さ25メートル、重さ30トン)を1両ずつクレーンでつり上げ、陸揚げ。港には鹿児島に"初上陸"した新幹線を一目見ようと、多くの家族連れらが訪れた」と伝えている。
平成15年8月、台船に載せられ関門海峡を通過する九州新幹線車両「つばめ」。「山口県から川内市の車両基地に海路向かう途中、九州の玄関口を通り抜けた。航路幅は最も狭いところで約500メートル。多数の船舶が往来し、潮の流れも速い難所を、ゆっくりと慎重に進んだ」と紙面は報じている。
平成15年10月、開業を翌年3月に控えた九州新幹線をデザインし、おはら祭をPRする花電車。紙面は「新幹線『つばめ』の車両と開業日、西郷隆盛、桜島などを描いたイラストを採用。電球を約2400個、造花約8500本をあしらった」と報じている
平成15年10月、鹿児島中央駅ビルの名称は「アミュプラザ鹿児島」とJR九州の子会社、鹿児島ターミナルビル(鹿児島市)が発表。「ビルは建設が進み、来年9月か10月に開業予定。初年度売上高160億円、1000万人の来客を見込む」と紙面は伝えている。
平成15年、駅舎工事が終わり、駅前広場の整備が進む川内駅(現薩摩川内市)。紙面によると「九州新幹線部分開業まで、12月4日であと100日となった。同駅など新幹線停車駅では広場や駐車場、周辺アクセス道路の整備が進み、施設面の開業準備最終段階に入っている」という。
平成15年12月、川内車両基地(現薩摩川内市)に勢ぞろいし、報道陣に公開された5編成の新幹線「つばめ」。「JR九州によると5編成すべてそろうのは『最初で最後』」と紙面は伝えている
平成16年3月12日、九州新幹線鹿児島中央-新八代間の開業に伴い、鹿児島から姿を消す寝台特急「なは」のお別れ式。紙面は「発車ホームはカメラやビデオを手にした鉄道ファンであふれ返った。警笛を鳴らして発車すると、ファンは手を振りながら『ありがとう』と大声を上げ、拍手で見送った」と伝えている。
平成16年3月11日、開業を間近に控え、オープンを待つ鹿児島中央(西鹿児島)駅。「九州新幹線の鹿児島中央-新八代は13日に開業する。長年親しまれてきた西鹿児島駅の名称は鹿児島中央駅に変わり、鹿児島の鉄道交通は新時代を迎える」と紙面は報じた。
平成16年3月1日、九州新幹線部分開業まであと12日と迫り、鹿児島市内で始まった道路案内標識の変更作業。紙面は「同市山下町の県道鹿児島蒲生線では、道路標識の『西鹿児島駅』の文字の上に『鹿児島中央』と書いたアルミ製のプレートをかぶせてビス留めした」と伝えている。
平成16年3月13日、九州新幹線部分開業を祝って、初めて弥五郎どんが鹿児島市街地を練り歩いた。
平成16年3月13日、九州新幹線の鹿児島中央-新八代間(約127キロ)が開業。鹿児島中央駅では関係者らがテープカットする中、新幹線つばめの一番列車が新八代へ出発した。紙面は「整備計画決定から31年、着工から13年、一部開業ながら県民の”夢”が実現した」と報じている。
特急増発はなやかに
鹿児島本線電化 試運転第1号走る
鹿児島本線、電化スタート はなやかに発車式
国鉄古江線を走る列車
鹿児島―南宮崎間の電化祝い開通式
”老兵”機関車また消える/鹿児島機関区
日豊本線電化でCTC増設
山野線菱刈駅に”お座敷列車”
国鉄山野・宮之城線存続を訴える決起集会
早すぎる定年退職
金山の盛衰見守る 山野線布計駅
祝賀会で据えられた新幹線の氷彫刻
再開発前の西鹿児島駅周辺
沿線住民にあきらめと不安
宮之城線、バス転換 あきらめと不安
大隅線を守ろう、無人駅を美化奉仕
さよなら、宮之城線 名残を惜しみ臨時列車
さよなら、宮之城線 廃止記念行事決まる
宮之城線40年、最後の日曜日
消えゆく大隅線 記録に
二カ月だけの駅長/廃止までは全力投球
廃止を前に末吉町民が一周/志布志・大隅線
71年の歴史に幕 13駅でお別れ式/大隅線
やみ夜に名残…最終列車/大隅線
住民ら無念の見送り/志布志線
西鹿児島駅にできた自由通路
掘削が進む第3紫尾山トンネル
完成まで秒読みの西鹿児島駅舎
西鹿児島駅新駅舎が開業
第3紫尾山トンネルが一部貫通
高架橋工事が進む西鹿児島駅周辺
新幹線工事を見守る田の神様
九州新幹線、レール敷設始まる
川内川の橋りょう連結式
西鹿児島駅周辺のレール敷設が本格化
伊集院へ搬入される新幹線レール
西鹿児島駅の駅ビル予定地
新幹線、西鹿児島―八代レールつながる
建設が進む西鹿児島駅ビル
西鹿児島駅に設置された九州新幹線の座席
真夜中の街を”走る”新幹線「つばめ」
新幹線「つばめ」、鹿児島に”初上陸”
関門海峡を渡る九州新幹線「つばめ」
九州新幹線をデザインした花電車
鹿児島中央駅ビル、名称決まる
駅前広場の整備が進む川内駅
川内車両基地に勢ぞろいした新幹線「つばめ」
寝台特急「はな」のお別れ式
開業準備が整い、オープンを待つJR鹿児島中央駅
部分開業間近、道路標識の変更始まる
鹿児島市街地を練り歩く弥五郎どん
九州新幹線、鹿児島中央―新八代間が開業




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