ロケット

昭和40年1月、東京大学宇宙航空研究所が内之浦町(現肝付町)のロケット実験場から打ち上げたカッパ9M3号機。紙面によると「今年最初の『真冬のロケット実験シリーズ』第1弾の同機は高度350キロをマーク、実験は成功した」と報じている。
昭和40年1月、国産人工衛星打ち上げへ向け新しい建築物が次々に建設される内之浦町(現肝付町)のロケット実験場。紙面は「東京大学の実験場が誕生して満3年。打ち上げられたロケットは31機を数える。さらに人工衛星打ち上げへ向け、新しい台地や道路が力強く建設されている」と伝えている。
昭和40年3月、東京大学ロケット実験班が内之浦町(現肝付町)から打ち上げたラムダ3型3号機の頭部。「同機は“銀河X線”などの測定に成功。発射後、高度160キロで観測器から2本の触角が飛び出し、電離層、放射線などの貴重なデータを地上に伝えてきた」と紙面は報じている。
昭和40年3月、内之浦町(現肝付町)のロケット実験場から打ち上げるラムダ3型3号機を組み立てる東京大学ロケット実験班。紙面は「同機は初の“銀河X線”測定のため、日没後の発射を選んでいる。発射6時間前から準備にとりかかった」と伝えている。
昭和40年7月、東京大学ロケット実験班が内之浦町(現肝付町)の実験場からST160型2号機を打ち上げた。紙面によると「将来、衛星を軌道に乗せる際の自動制御法になる『ロケットに回転をつけること』が目的。予定通り1秒間に3回転し、“人工衛星基礎実験”は成功した」と伝えている。
昭和40年8月、東京大学宇宙航空研究所は内之浦町(現肝付町)の実験場からカッパ10S型1号機を打ち上げ、成功した。紙面は「メーンロケットに積まれた球型ロケットは高度742キロメートルに達し、衛星開発の基礎データを得た。発射後の会見には東大教授陣がずらりと並び、喜びの色を隠せなかった」と報じている。
昭和40年8月、球型ロケットを搭載し、衛星開発予備実験として内之浦町(現肝付町)から打ち上げるカッパ10S型1号機。「球型ロケットは直径30センチ、重さ20キロで内部には燃料がぎっしり。将来の人工衛星開発に直接重要なデータを与える」と紙面は伝えている。
昭和40年11月、東京大学宇宙航空研究所が内之浦町(現肝付町)から打ち上げ予定のカッパ10型1号機の整備点検。紙面は「同機は自動姿勢制御装置が内蔵され、ロケット本体を軌道に乗せるまでの実験を行う。テストが成功すれば、来春にも国産衛星第1号が内之浦から世界を雄飛する可能性が大きい」と伝えている。
昭和43年9月7日、種子島宇宙センターに運び込まれたロケット本体。搬入されたロケットは昭和42年3月発射寸前に打ち上げが中止されたまま持ち帰っていたLSC-D機のブースターと小型ロケットSB-II、同III型機、さらにNAL-16H1、2号機。西之表港に陸揚げされた後、時速20キロののろのろ運搬で種子島縦貫道を進み5時間かけてセンターに着いた。
昭和43年9月8日、内之浦実験場で発射角度78度にセットされたST-160F型1号機。東大宇宙空間観測所は9月10日からのロケット実験再開を控えてリハーサルをした。宮崎県・南郷漁港シビなわ船主組合の実験阻止行動に一まつの不安を残しながらも、リハーサルは実際のタイムスケジュールにそって、角度付けなど慎重に行なわれた。
昭和43年9月、内之浦町に久々にかかげられたロケット実験再開を祝う横断幕。9月10日からの東大宇宙空間観測所ロケット実験再開を前に、地元内之浦町は中央通りに「祝・ロケット実験再開」の横断幕や万国旗が飾られ、ロケットムードが高まって実験を待つばかりとなった。
昭和43年、1年5ヶ月ぶりのロケット実験再開を前に見学者でにぎわう内之浦の宇宙センター。再開前夜の9月9日は、町内の12、3軒の旅館はほぼ満員、“ロケット景気”にわいた。7月見学客はおよそ1660人、8月にはおよそ2.5倍の4000人にふくれ上がった。ほとんどが帰省客で、郷里に帰ったついでに、家族や友人をつれて見学に来たというグループが目立った。9月に入ると連日のように見学客が訪れ土、日曜日は1日に、200人平均という盛況。
昭和43年9月、内之浦基地で再開第一発を待つST-160F型1号機。紙面では「東大実験班は打ち上げをぎりぎりまで宮崎県南那珂郡南郷町南郷漁業側との交渉に最後の望みをかけながら、9日も海上、陸上の保安チェックなど最終的な点検に忙しかった。地元内之浦町民も宮崎県の動きを気にしながらも明るい表情。ロケット実験再開ムードは高まってきている」と報じている。
昭和43年9月10日午前11時、日本の宇宙開発のよみがえりを告げる実験再開第1号のロケットST-160F型1号機は、東大鹿児島宇宙空間観測所(肝属郡内之浦町長坪)から打ち上げられ実験は成功した。同観測所での打ち上げ実験は昭和42年4月のラムダ4S型3号機以来1年5カ月ぶり。
昭和43年9月10日、内之浦町長坪台地の報道席。この日内之浦上空は快晴。心配されていた宮崎県南郷漁協シビなわ船主組合の実験阻止の出漁も中止され、東大実験班はこの日の空のように晴れ晴れとした表情。見学席はずらりとカメラの放列。実験班は「ラムダのときより多いじゃないか」と驚き顔。
昭和43年9月10日午後2時、内之浦実験場から秋空に白煙を残し一直線に上昇するST-160F型2号機。手前の建物は計器センター。2号機は1号機に比べ重心位置をずらせ安定が悪くしてあったため、落下時の抵抗が大きく、飛しょう時間は1号機よりやや長い。しかしロケットの燃えがらが目の前の海に落ち、しぶきを上げたのが確かめられた。実験終了後、森実験主任は「実験でフレアの空力安定性に関するよい資料が得られた」と実験成果を発表した。
昭和43年、77度にセットされた推力中断装置を試験するSO-250B型1号機。東大宇宙空間観測所(内之浦町)の実験班は、ロケット本体の組み立て計器調整リハーサルを繰り返し、9月11日夕までには発射準備をすべて整えた。SO-250型B1号機は高さ10.473メートルの2段式、1段目は直径42センチ、2段目は24.8センチ。
昭和43年9月12日午前11時、仰角46度で打ち上げられたSO-160型1号機。観測所上空は高空に薄巻雲があるだけのすばらしい秋晴れ。定刻に1秒の狂いもなく発射され、秋空を斜めに横切り南東海上に消えていった。発射8秒後、高度2キロで推力中断装置が点火され、ゆるくカーブをえがいて消えていった。午後2時発射予定のSO-250B型1号機は、制限水域に宮崎県・南郷漁協のシビなわ船団12隻が入りこんだため、中止された。
昭和43年9月13日、解体され格納されるSO-250B型1号機。内之浦のロケット実験は宮崎県・南郷漁協シビなわ船団出漁による9月12日の実験中止につづいて、9月13日も気象条件に恵まれず午後3時に断念の決定。「緊張の作業の継続の結果が断念とは」実験主任の森教授は「断念」というひとことさえなかなか口に出しきれなかった。このニュースは直ちに町にも伝えられ、シリーズ成功を祈っていた町民をがっかりさせた。
昭和43年9月14日午前10時、内之浦実験場で発射したS-160型1号機。東大鹿児島宇宙空間観測所のロケット実験は午前10時と午後1時に発射したS-160型1号機、同2号機が、1次切断には成功したものの、パラシュートが開かず、2機とも相ついで大気中のイオン測定観測はできず失敗した。相つぐ観測失敗に実験班のガッカリした表情はかくせなかった。
昭和43年9月、熊毛郡南種子町竹崎の科学技術庁種子島宇宙センターで角度づけされたLS-C-D型機。再開ロケットシリーズの後半は内之浦から種子島に舞台を移した。9月16日は雷雨にたたられながらLSC機のリハーサルが行なわれ、予定より5時間以上おくれて午後5時ごろスケジュールを終了、打ち上げ準備はすべて整った。
昭和43年9月16日、種子島宇宙センターLSC機リハーサルでの若手グループの3人。左から柴藤、笹谷、斉藤さん。紙面では「科学技術庁のロケット開発陣は若手が多い。大学を出て2、3年、25、6歳の技術者たちが意欲的にロケットに取り組んでいる。歴史が浅く、むしろこれから本格的にロケット開発にかかる同庁らしき若々しさだ」と報じている。
昭和43年9月17日午後4時10分、種子島宇宙センターで白煙を残して一直線に上昇するSB-IIA9号機。昭和41年6月の同センター設置決定後2年3カ月目に第1号機の足跡をしるした。午前中の打ち上げ計画は宮崎県の漁船の強行出漁ではばまれたが、午後漁船が自主的に立ち去って念願の初打ち上げが実現。科学技術庁の打ち上げ計画はやっと一歩を踏み出した。
昭和43年9月17日、待望の第1号ロケット発射の瞬間、宇宙センター見学席で手をたたいて喜ぶ見学者たち(前列左から2人目は浜田南種子町長)。科学技術庁種子島宇宙センターから打ち上げられた“種子島ロケット”第1号は青い秋の空に勢いよく飛び上がった。特別見学席では一斉に割れるような拍手「やった、よくぞやった」浜田町長は目に涙さえ浮かべながら、青空に吸い込まれたロケットのあとを、あかずに見つめていた。
昭和43年9月19日午前10時58分、熊毛郡南種子町竹崎の種子島宇宙センターから2段式ロケットLS-C-D(ダミー)機を打ち上げ、実験は成功した。実験班は「ロケットは計画通り正常に飛び1、2段目の切り離し、飛しょう性能、ランチャーの機能ともすべて満足すべき結果が得られ実験は100パーセント成功した」と発表した。LS-C-D機の打ち上げでわが国の実用衛星打ち上げ計画は力強く第一歩を踏み出した。
昭和43年9月19日、無線で説得をつづける十管本部の下松警救部長。宮崎県・南郷漁協シビなわ船団18隻がロケット実験阻止のため制限海域近くに集まり、巡視船など12隻の呼びかけも聞き入れず、午後10時には6隻が進入した。油津海上保安部の大野保安部長のシビなわ船主組合長への説得や下松部長の現場説得により午前10時53分までには全船団が退避し、ロケットは上がった。
昭和43年9月19日午前10時58分、地上4.2キロで1段目ブースターを切り離したLS-C-D機ロケット(矢印がブースター)。午前の打ち上げに引き続き午後4時1分にNAL-16H1号機を発射、実験に成功した。これで9月17日から始まったロケット実験は全日程を終了した。
昭和43年11月7日、科学技術庁種子島宇宙センターで新春早々行なわれるロケット実験正月シリーズを前に整備作業が始まった。実験班、メーカー側から20人が来島、ランチャー整備、電波調整などに着手した。NAL用ランチャーをセットする一方、LS-C機2段目の液体ロケットの点検整備が始まったほか液体燃料供給装置用の敷き地として現在の小型ロケット射場東側の丘を切りとる作業や道路の拡幅工事も急ピッチにすすんだ。
昭和45年2月、東大宇宙航空研究所(現JAXA)は7日、ラムダ4S型5号ロケットの実験は10日以降に延期すると発表。紙面は「ラムダ4S型5号機は過去の失敗から改良を加え、初の国産人工衛星実験に5度目の挑戦をする。総合最終テストはすべて順調。あとは天候待ちの状態となった」と報じている。
昭和45年2月11日、東大宇宙航空研究所(現JAXA)はラムダ4S型5号ロケット打ち上げに成功。初の国産人工衛星が誕生した。名前は大隅半島の名をとって「おおすみ」と命名された。紙面は「衛星打ち上げ過去4回の失敗を見事に克服しての快挙。日本は自力で衛星を開発した4番目の国になった」と報じている。
昭和45年2月11日、日本初の人工衛星が誕生し、宮原大地では一般見学者たちの喜びがウズまいた。紙面は「この日は遠くは静岡、他各県からたくさんの見学者が訪れた。ロケットが飛び立つと見学者たちは青空にぐんぐん突き進むロケットの行方をいつまでも、興奮したおももちで見守っていた」と報じている。
昭和46年9月13日、科学衛星第一号を目指して準備を進めている東大宇宙空間観測所で衛星(MS-F2)と4段目ロケットの結合作業が行われた。紙面は「科学衛星を打ち上げるミュー4S型3号機は3段目まで組み立てており、14日に3段目と4段目を結合する。ミューロケットは17日リハーサルのあと、20日に打ち上げられる」と報じている。
昭和46年9月、日本初の本格的科学衛星を目指す、東京大学宇宙航空研究所のミュー4S型3号機は、20日午後1時、肝付郡内之浦町の実験場から打ち上げられる。写真は発射角77.5度にセットされたM4S-3号機。紙面は「入念なリハーサルを行い、大したトラブルもなく打ち上げ準備は順調、“衛星 成功”へ自信を深めている」と報じている。
昭和46年9月27日、わが国初の科学衛星を目指す、ミュー4S型3号機の打ち上げは風が強く、同日の実験は中止となった。写真は実験中止にがっかりしながらも「せっかく来たのだから」と実験場内を見学する一般客たち。一番向こうの塔がミューロケット発射台。
昭和46年9月28日、東京大学宇宙航空研究所は内之浦町の実験場から、初の国産科学衛星をめざすミュー4S型3号機を打ち上げ成功した。紙面は「ミューロケットはオレンジ色の炎とすさまじいごう音を台地にたたきつけながらぐんぐん上昇、あっという間に台地のかなたに突き進んでいった」と伝えている。
昭和46年9月28日、ミュー4S型3号機の打ち上げを成功、わが国初めての本格的科学衛星が誕生した。紙面では「実験班は科学衛星“MS-F2”からの電波を受信、衛星が軌道に乗ったことを確認。これで世界4番目の科学衛星国となった。衛星を『しんせい』と命名、国際標識は1971・080-Aと名付けられた」と報じている。
昭和46年9月29日、初めて内之浦町の空から誕生した科学衛星「しんせい」は、地球を順調に回っている。東大ロケット実験班は、「しんせい」が地球を周り、内之浦上空に帰ってくるたびデータを受信する。「しんせい」の観測状況は前日と全く同じで順調そのもの。写真は「しんせい」からのデータ受信に忙しい科学衛星テレメーターセンター。
昭和63年9月6日午前8時、H2を開発するための試験用ロケットTR1―1号機が宇宙開発事業団種子島宇宙センターから打ち上げられ順調に飛行、各種データ取得、SRB(固体ロケットブースター)分離に成功した。紙面では「晴天に恵まれ、竹崎射点のランチャー(発射台)にセットされたTR1―1号機は予定通り午前8時、ロケットモーターに点火。上下角76度、方位角93度でほぼ真東の空へ打ち上げられた」と報じている。
昭和50年、種子島宇宙センター大崎射場にNロケットの整備塔が完成。紙面は「塔は技術試験衛生打ち上げ用ロケットの組み立て、整備、発射台への据え付けに使われる。高さ55メートル、間口26メートル、奥行き25メートルで40の車輪を持つ台車上に組み立てられ、発射台までロケットを運ぶ自走式」と報じている。
宇宙開発事業団が公開した昭和50年秋に初めて打ち上げた人工衛星(正式名称・技術試験衛星1型「ETS1」)。紙面によると衛星は二十六面体で直径80センチ、重さ85キロ。「表面には太陽電池素子板が張ってあり、電池、伸展アンテナを内蔵する。打ち上げ時の環境の測定などの役目を果たす」と伝えている。
昭和50年5月、大崎射場のロケット整備等など諸施設が完成。宇宙開発実業団はこの諸施設を地区住民などに公開した。紙面は「これでNロケットを打ち上げるのに必要な諸施設は整った。これから秋の打ち上げに向けて、打ち上げリハーサルに入る」と報じている。
昭和50年8月20日、宇宙開発事業団はNロケットの組み立てを完了させ、打ち上げに備えて22日からリハーサルを行う。紙面は「20日はロケット最先端部のカバーを掛ける作業が行われた。作業は夕方までに終わり、ロケットは発射時の姿になった」と伝えている。
昭和50年8月23日、宇宙開発事業団は初の技術試験衛星を乗せて打ち上げる予定のNロケット発射リハーサルを行った。紙面は「Nロケットを発射地点に起立、指令管制室では発射模擬時間に向けて、総合的チェックが行われた。全般的に良好で、打ち上げに向かって最後の詰めが行われることになった」と報じている。
昭和50年9月9日に宇宙開発事業団がNロケットを打ち上げる。写真は人工衛星打ち上げに準備に忙しい技術者たち。紙面は「この打ち上げにはロケットが予定の軌道に乗り地上の追跡網と連携できるか、初の液体燃料を使っての打ち上げ、事業団が開発したエンジンの使用などの初の試みがある」と報じている。
昭和50年9月9日の打ち上げで種子島が国際的に注目されるとあって島民の関心も高まっている。紙面は「南種子町では打ち上げ成功に備えてパレードやパーティなども計画された。また、『Nロケット成功を祈る』の横幕を掲げたり、商店が成功を期待する張り紙を出したところもあった」と伝えている。
昭和50年9月9日、種子島から初の人工衛星が誕生した。紙面は「種子島宇宙センターから技術試験衛星ETS1を高度1000キロ軌道に乗せる目的で我が国初の三段式ロケットを打ち上げた。ロケットはプログラム通り飛び、衛星も軌道に乗り、我が国7番目の人工衛星となった。また、秋の打ち上げにちなみ“きく”と名付けられ、実用衛星計画の第一歩を踏み出した」と報じている。
昭和50年9月9日、宇宙開発事業団が打ち上げNロケットを追う小学生。紙面は「オレンジ色の炎、立ちこめる白い煙、腹に響くごう音-日本最大のNロケットは発射された。垂直にのぼってゆく真っ白い機体は、上空約1000メートルあたりで、白く細い航跡を残して、真っ青な南国の空に消えていった。ロケット打ち上げの成功に町中がよろこびに沸いた」と伝えている。
宇宙開発事業団は平成9年11月28日午前6時27分、熱帯降雨観測衛星「TRMM」と技術試験衛星「きく7号」を積んだH2ロケット6号機を、熊毛郡南種子町の種子島宇宙センターから打ち上げた。ロケットは順調に飛行し、打ち上げから14分12秒後にTRMM、28分1秒後にきく7号の分離に成功し、それぞれの軌道に投入された。
カッパ9M3号機の打ち上げ成功
国産衛星打ち上げへ 開発が進む内之浦実験場
ラムダ3型3号機の観測器
ラムダ3型3号機の組み立て作業
ロケットの回転実験に成功
初の球型ロケット、打ち上げに成功
球型ロケットを積み込んだカッパ10S型1号機
カッパ10型1号機の整備点検
ロケット次々実験場へ
不安の中の発射準備
ロケットムード高まる
ロケット景気にわく
ロケット打ち上げ、まずST-160機
1号機まず成功
カメラの放列 ラムダ実験なみ
安定テスト成功
推力中断装置をテスト
”推力中断”に成功
重い”断念”の一言
イオン観測失敗
種子島ロケット実験初舞台
開発陣、若さでハッスル
種子島ロケット1番機上がる
感無量の発射音
2番機ようやく打ち上げ
十管本部長 無線で船団を説得
種子島ロケット実験終了
新春の実験に備え発射台整備はじまる
初の国産衛星実験、5度目の挑戦
初の国産衛星誕生
国産衛星実験ロケット打ち上げ成功に喜ぶ見学者
科学衛星4段目と結合 東大のミューロケット
初の科学衛星、あす打ち上げ
風に泣くミューロケット/科学衛星打ち上げ延期
科学衛星、打ち上げ 飛行順調
初の科学衛星誕生
観測大忙し 宇宙のデータ続々
TR1打ち上げ成功
Nロケット整備等が完成
初公開された人工衛星
Nロケット発射場施設が完成
Nロケット組み立て完了
ロケット打ち上げリハーサル良好
実用衛星打ち上げ秒読み
関心高まる住民/Nロケット打ち上げ
ロケット打ち上げ 小学生も”見学授業”
初の技術試験衛星 誕生
日米衛星を軌道投入




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