スポーツ一般

昭和59年8月13日、ロス五輪でレスリング・フリースタイルの上村政和選手(鹿児島市出身)が4位入賞。当時の紙面は「3位決定戦で負傷して棄権。4位に-。勤め先の警視庁から電話を受けた家族は、メダルに届かなかったことを惜しんだ。つめかけた地域の人々は『世界で4番目とは、大したもんじゃ』と拍手し、上村選手の活躍をたたえた。町内の有線放送も速報した」と伝えている。
昭和59年8月3日、ロサンゼルス・オリンピックでレスリング・グレコローマン52キロ級の宮原厚次選手(旧大隅町出身)が金メダル。当時の紙面によると「ロス五輪で宮原選手が『金』獲得。大隅町別府の実家に第一報が入ると、父伝次さんは跳び上がって大喜び。母富子さんは涙をいっぱいため、息子の頑張りを心から祝福した。英雄誕生に地元は熱狂、集まった60人の町民らは健闘をたたえた」などと報じていた。
昭和59年9月23日、ロス五輪メダリストら郷土出身の6人を表彰。当時の紙面によると「五輪入賞者は、レスリング・グレコ52キロ級金メダルの宮原厚次、同フリー57キロ級銀メダルの江藤正基、同フリー68キロ級4位の上村政和、重量挙げ52キロ級5位の宮下日出海、カヌー8位の福里修誠、そして新体操8位の山崎浩子の6選手。6人はオリンピック開会式用の赤いブレザーで出席し、会場から祝福をあびた。郷土の入賞者が勢ぞろいしたのは初めて」と報じていた。
昭和59年8月17日、ロス五輪レスリングで金メダルを獲得した宮原厚次選手、銀メダルを取った江藤正基選手(鹿児島市出身)が帰国、鹿児島市でがい旋パレード。当時の紙面によると「自衛隊体育学校所属の両選手は国分駐屯地のジープ2台に分乗し、西鹿児島駅前を出発。沿道に詰めかけた市民らは日の丸の小旗を振って『おめでとう』『よくやった』と祝福した。宮原、江藤両選手はメダルを掲げてこたえ、群がる子供とも握手、メダルにさわらせる一幕もあった」などと紹介している。
昭和45年、第25回秋季国体の開会式は、岩手県盛岡市で華やかに開催した。写真は鹿県団の入場行進の場面。紙面は「バレーの照国、鹿商、ホッケーの樋脇、ソフトの串木野女子など優勝候補が目白押しだけに、鹿児島県勢全員活気がみなぎっている」と報じている。
昭和45年、第25回秋季岩手国体第3日目、軟式庭球高校女子の指宿商業チームが広島チームを破り、国体初優勝を成しとげた。紙面では「決勝は両軍死力を尽くしての攻防となった。安定したストロークが強みの広島に対し、指宿商は変化球サーブと多彩な攻撃で対抗、粘る広島を振りきり勝利した」と報じている。
昭和45年、秋季岩手国体第4日目、レスリングで高校65キロ級、同81キロ級、一般48キロ級の3階級を制覇した。写真は高校65キロ級決勝、鹿児島・平松(上)が青森・斉藤のバックを攻める場面。紙面は「この日はレスリング3階級制覇のほか、バレーなど5種目で決勝進出を果たし、各種目とも圧倒的な強さをみせ“みちのく”に鹿児島旋風をおこした」と報じている。
昭和45年、秋季岩手国体で最終日を前に優勝は団体3種目、個人6人、準優勝は団体3種目、個人2人。紙面は「これらの成績に『こげん勝ってヨカもんじゃろかい』と鮫島鹿県教育委員長が大声をあげ、役員団はどっと笑いくずれた。この日優勝を決めた男子ホッケー樋脇高(現川薩清修館)の選手たちも、北国の陰うつな空を吹き飛ばすように晴れやかだった。」と報じている。
昭和45年、岩手国体で優勝した鹿児島商工高(現樟南)レスリング、照国高(現鹿児島城西)女子バレーなど次々と西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)に到着しブラスバンドや拍手がわき起こり、祝賀気分に包まれた。紙面では「照国高女子バレーの一行は鹿児島市内をパレードし、県庁で金丸知事に優勝報告をした」と報じている。
昭和46年10月、第26回国民体育大会秋季大会の開会式が和歌山県で行われた。55会場で27競技が繰り広げられる。紙面は「鹿児島県は435人の選手団を送り総合10位入賞を目指す。選手団は『来年行われる太陽国体に向けいい成績を』と、なみなみならぬ決意を示した」と報じている。
昭和46年10月、和歌山国体第4日目、陸上で浜田(鹿中央教)が高校教員1500mで長崎、岩手、和歌山と国体三連勝を飾った。紙面は「浜田は一周目を中位につけ、二周目でトップを奪う。最後の一周の第三コーナーまでピタリとつけられるが、ラストスパートをかけ、2位以下を10メートル近く離し、ゴールした」と報じている。
昭和46年10月、和歌山国体、陸上、レスリング、軟式庭球教員男子、弓道高校男子近的が続々と優勝した。写真はレスリングで優勝した有村選手と平田選手を肩にのせ喜ぶ鹿児島県関係者。紙面は「やや低迷気味だった鹿県勢は、競技開始3日目にやっと実力を見せた。『あと2日も、この勢いで突っ走るぞ』と意気は大いに上がっている」と報じている。
昭和46年10月、第26回国民体育大会秋季大会は和歌山県内で27競技が繰り広げられたが、閉会式で全日程を終了した。写真は「和歌山のみなさんありがとう」「来年は鹿児島へどうぞ」の横幕を手に閉会式の入場行進する鹿児島県役員選手団。紙面は「総合優勝は和歌山が飾り、鹿児島県は6位に躍進。選手強化が着実に進んでいることを示した」と報じている。
昭和58年、群馬県で開催された「あかぎ国体」最終日の10月20日、成年男子A100メートル決勝は野球から転向して間もない宮崎博史(鹿児島・日石喜入)が追い風参考記録ながら10秒38で快勝、日本選手権に続くタイトルを獲得した。紙面では「60メートル付近でトップに立つとさらに加速、ぶっち切りで圧勝した」と報じている。
「あかぎ国体」最終日の昭和58年10月20日、成年女子A100メートル決勝は中村夕紀子(鹿児島・県体協)が優勝した。紙面では「日ごろ一緒に練習している宮崎の優勝を目の前で見て燃えた。追い風参考ながら11秒78は鹿児島女子校時代(51年)にマークした日本新と同じタイム。3年ぶりの優勝の味だった」と報じている。
「あかぎ国体」最終日の昭和58年10月20日、前橋敷島公園県営陸上競技場でアベック優勝の中村夕紀子(右)、宮崎博史両選手を胴上げして大喜びの鹿児島県選手、役員団。紙面では「インタビュー攻めに合った宮崎さんと中村さんが前後して、県選手団の控え所に帰ってきたのはレース後1時間もたっていた」と報じている。
昭和53年4月23日、名瀬市総合体育館の落成式があった。紙面では「『これまでにない県体を実現させる』と奄美体協を中心に関係者は自信のほどを見せ、郡民あげてのムードが高まっている。また歓迎ムードを盛り上げるため、名瀬市でハイビスカス1200はちをつくるなど『ミニ国体並み』の取り組みよう」と報じている。
昭和53年10月29日朝、炬火を乗せ鹿児島市の平川ヨットハーバーを出発する「セントアロー号」。紙面では「県民体育大会を目前に、奄美大島のヨットマンら海の男たちが、鹿児島市で燃え続けている東京オリンピックの聖火リレーの火をヨットで奄美大島に運ぶため、荒天の中、平川ヨットハーバーを出港した」と報じている。
昭和53年11月1日夕、シケの七島灘380キロを乗り切って名瀬港に到着した。紙面では「炬火は合わせて3人がリレー、名瀬市街地を1キロ走り、同市役所で名瀬市長に手渡されたあと、同市役所内に安置された。この間、港や沿道には多くの市民がつめかけ、燃えさかる火に拍手を送っていた」と報じている。
昭和53年11月2日午後2時半、名瀬会場を中心に繰り広げられる第32回県民体育大会・鹿児島地区選手団の結団式が、鹿児島新港発着所前で行われた。紙面では「式には選手326人が参加、必勝を誓い合った。式の後、奄美会場に出場する陸上、水泳など187人の選手団は定期船に分乗、名瀬市に向かった」と報じている。
昭和53年11月3日、名瀬市運動公園陸上競技場で県体開会式前に行われた奄美高生徒による集団演技「八月踊り」。紙面では「本土復帰25周年を記念した第32会県民体育大会は奄美大島を中心に開幕、開会式は約3万5000人の選手団、観客が会場を埋めつくし、県体始まって以来の大がかりな大会となった。」と報じている。
昭和53年11月4日、第32会県民体育大会第2日、高校女子100メートルで大島チームの吉田選手が大会新の12秒6で見事優勝した。紙面では「陸上は好天に恵まれたこともあって好記録が続出。大会新16、大会タイ2と大いに盛り上がった。同じく水泳も水温が低かったにもかかわらず、多くの選手が健闘、13の大会新記録が生まれた」と報じている。
昭和53年11月5日、第32会県民体育大会最終日、名瀬市体育館の男子バレーボールには大島、名瀬の両地元チームが決勝に進出、大島がストレートで名瀬を下し優勝した。紙面では「地元大島勢はサッカー、軟式庭球、卓球などでベスト4入りする健闘を見せ、”奄美県体”を大いに盛りあげた」と報じている。
平成2年3月25日、霧島関の故郷である姶良郡牧園町中津川地区では、同地区多目的営農研修施設に同町後援会や地域の人々250人が集まり、″郷土の英雄″の取組に一喜一憂。惜しくも初優勝は逃したものの″大関昇進″と技能、敢闘賞受賞を決めた今場所の健闘を喜び合った。
平成2年4月26日、故郷の姶良郡牧園町に錦を飾った新大関の霧島関(31)=井筒部屋=が26日午前、鹿児島県庁などを訪問、改めて昇進を報告した。大相撲春場所で準優勝し、見事大関を″射止め″ての郷土入りとあって、霧島関の行く先々に人垣が。鹿児島から誕生した″ハンサム大関″を大歓迎した。
平成3年1月7日、「やったぞ、カジツ」「決勝も頼むぞ」。全国高校サッカー選手権大会準決勝、晴れの舞台の国立競技場に鹿実コールが沸き起こった。大スタンドを埋めた一万人の鹿児島実応援団。息詰まるPK戦で宿敵・武南を下した瞬間、喜びがはじけ、歓喜と興奮が渦巻いた。
平成3年1月9日、銀メダルを胸に鹿児島実イレブンが帰ってきた。第69回全国高校サッカー選手権大会準優勝の鹿児島実が帰鹿、空港や母校で関係者やサッカーファンの熱烈な出迎えを受けた。鹿児島市城西2丁目の同校では、運動部員や教職員のほか、近くの原良小、西田小などのサッカースポーツ少年団員ら500人が、夕方の薄暗くなった中庭で帰りを待ち受けた。
平成3年1月21日、第69回全国高校サッカー選手権大会で準優勝した鹿児島実業高の健闘を祝う会が鹿児島市のサンロイヤルホテルであった。県サッカー協会、鹿実高関係者、来賓ら約550人が出席。県サッカー協会から選手に記念品が贈られた後、松沢隆司監督が選手を一人一人紹介。「鹿実サッカー部が念願の国立競技場でゲームができたのも、協会はじめ多くの方の支えがあったから。一から出直すつもりで今後も頑張っていきたい」と感謝の言葉を述べた。
100分間の死闘の終わりを告げる笛が鳴った瞬間、びしょぬれの選手たちはちょっとだけ残念そうな表情を見せた。だが、スタンドやテレビ桟敷からすぐに「ワーッ」と大きな拍手が上がる。待ちに待った鹿実全国制覇の実現だ。「ついに夢がかなった」「単独優勝の楽しみは次に」―。平成8年1月8日、国立競技場であった全国高校サッカー決勝は、鹿実が静岡学園に2点の先行を許しながら残り3分で追いつく、「両校優勝」にふさわしい名勝負。冬のあらしが列島を吹き荒れた午後、1000キロ離れた東京と鹿児島を、熱い歓声が結んだ。鹿実の快挙に、地元鹿児島のテレビ桟敷からも「すごい」「よくやった」と称賛の声が送られた。
第74回全国高校サッカー選手権大会で初優勝した鹿児島実業高校サッカー部は平成8年1月10日、学校で全学友に熱戦の報告をしたあと、鹿児島市内の繁華街をパレード、夜は祝勝会にのぞみ、県民とともに喜びを分かちあった。この間、県体育協会やマスコミ各社にもあいさつ。選手たちは行く先々で祝福を受け、鹿児島の街は高校サッカーの頂点をきわめたヒーローたちへの歓喜の声と拍手でわいた。
ロス五輪 上村選手の4位入賞に沸く地元
ロス五輪 レスリング宮原選手が金メダル
鹿児島県体育大会開会式
ロス五輪 金メダルの宮原選手、銀の江藤選手ががい旋
昭和45年岩手国体秋季大会/開会式入場行進
軟式庭球 指宿商日本一
レスリング3階級制覇
監督を胴上げする樋脇高イレブン
鹿県国体チーム続々帰鹿
和歌山国体始まる
浜田、3連勝を飾る 高校教員1500メートル
続々優勝に歓声上がる
鹿児島県は堂々6位 全日程終了
あかぎ国体 宮崎、強豪らに完勝
あかぎ国体 中村、再び「女王」
あかぎ国体 「日本一ペア」宙に舞う
奄美県体 施設、運営とも軌道に
東京五輪聖火、県体炬火に分火
県体炬火名瀬入り
県体選手団団結式 必勝誓い合う
「燃えよ競えよ」奄美県体開幕
奄美県体 大会新ラッシュ
「奄美復帰記念県体」が閉幕
霧島関の大健闘に沸く牧園町民
行く先々に人の波、ハンサム大関霧島に熱狂
全国高校サッカー PK戦に大コール
全国高校サッカー準優勝の鹿実イレブンが帰鹿
全国高校サッカー、鹿実の準優勝祝う会
驚異の粘りに興奮
初優勝の鹿実サッカー部に歓声