'08/01/27 本紙掲載
■ (上) 個々の潜在力が開花
3年前の2005年7月下旬。学校紹介の一環で、中学3年生を対象にした鹿工野球部の体験入部が初めてあった。グラウンドに集まったのは110人。今の2年生部員の多くが参加していた。
東市来中出身で現在は鹿工主将の田代涼もその1人。兄も同校野球部の卒業生で、同じ道を歩もうと決めていた。「入学できたらチームメートになるかもしれない」。そんな目で注目したのが内村尚弘だった。
内村は鴨池中のエースとして、「中学生の甲子園」といわれる全日本少年軟式野球大会の出場を決めていた。互いに練習試合で戦ったこともあり、すぐに仲良くなった。そして内村も鹿工を志望校に定める。
すると、レベルの高いところで野球がしたいと考える仲間が、次々と鹿工を目指した。2番手左腕石堂達也は種子島の中種子中出身。「自分たちの代で甲子園に行きたかった」と島を出た。串木野中出身の正捕手橋本和也も「もっと野球がうまくなりたかった」。
こうした要素も絡まり、「全体的に個々の能力が高い」と中迫俊明監督が評する部員が多く集まった。新入部員の動きを見た当時3年の主将鮫島哲新は「僕たちが1年のときより間違いなく力がある」と指導陣に打ち明けていた。
06年4月に入学すると1年生たちはすぐにチームに貢献した。内村は打撃力を買われてセンターのレギュラーに。ショート梶丸晃太郎、セカンド田代も力をつけ、3年生レギュラーを脅かした。その夏の甲子園でも内村は6番打者として打ちまくり、田代も準決勝の早稲田実戦で守備についた。
新チームは主力の大半を1年生で占め、その秋の1年生大会では優勝。順風満帆かに見えた。だが、そこから伸び悩んだ。内村が先発した昨春の九州大会県予選は3回戦で神村学園に1−9の大敗。中迫監督はこの時期、「漫然とプレーしている。打つだけ、投げるだけという力はあるが野球が分かっていない」と嘆いていた。シード校だった昨夏の県大会も、内村ら7人の2年生がレギュラーに名を連ねたが4回戦で敗退した。
そして上級生が抜けた昨秋の九州大会県予選。内村は「このままでは(レギュラーになれなかった)3年の先輩たちに申し訳ない」と奮起した。ナインの気持ちも一緒だった。神村や樟南といった強豪を退けて秋の県予選を初制覇。
続く九州大会は壮絶な打ち合いで初戦を制すと、4強入りをかけた一戦は投手戦。内村が11奪三振で投げ勝った。準決勝の沖縄尚学(沖縄)戦は1−3で惜敗したが内村は13奪三振。優勝候補に互角の戦いを演じた。「3年の先輩たちと一緒に甲子園にいくんだという気持ちがあった」と主将田代。中迫監督は「予想以上に時間がかかったが、ようやく原石が光り出した」と手応えを感じている。
東市来中出身で現在は鹿工主将の田代涼もその1人。兄も同校野球部の卒業生で、同じ道を歩もうと決めていた。「入学できたらチームメートになるかもしれない」。そんな目で注目したのが内村尚弘だった。
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選抜出場決定を喜ぶ鹿工ナイン=25日、鹿児島工高 |
すると、レベルの高いところで野球がしたいと考える仲間が、次々と鹿工を目指した。2番手左腕石堂達也は種子島の中種子中出身。「自分たちの代で甲子園に行きたかった」と島を出た。串木野中出身の正捕手橋本和也も「もっと野球がうまくなりたかった」。
こうした要素も絡まり、「全体的に個々の能力が高い」と中迫俊明監督が評する部員が多く集まった。新入部員の動きを見た当時3年の主将鮫島哲新は「僕たちが1年のときより間違いなく力がある」と指導陣に打ち明けていた。
06年4月に入学すると1年生たちはすぐにチームに貢献した。内村は打撃力を買われてセンターのレギュラーに。ショート梶丸晃太郎、セカンド田代も力をつけ、3年生レギュラーを脅かした。その夏の甲子園でも内村は6番打者として打ちまくり、田代も準決勝の早稲田実戦で守備についた。
新チームは主力の大半を1年生で占め、その秋の1年生大会では優勝。順風満帆かに見えた。だが、そこから伸び悩んだ。内村が先発した昨春の九州大会県予選は3回戦で神村学園に1−9の大敗。中迫監督はこの時期、「漫然とプレーしている。打つだけ、投げるだけという力はあるが野球が分かっていない」と嘆いていた。シード校だった昨夏の県大会も、内村ら7人の2年生がレギュラーに名を連ねたが4回戦で敗退した。
そして上級生が抜けた昨秋の九州大会県予選。内村は「このままでは(レギュラーになれなかった)3年の先輩たちに申し訳ない」と奮起した。ナインの気持ちも一緒だった。神村や樟南といった強豪を退けて秋の県予選を初制覇。
続く九州大会は壮絶な打ち合いで初戦を制すと、4強入りをかけた一戦は投手戦。内村が11奪三振で投げ勝った。準決勝の沖縄尚学(沖縄)戦は1−3で惜敗したが内村は13奪三振。優勝候補に互角の戦いを演じた。「3年の先輩たちと一緒に甲子園にいくんだという気持ちがあった」と主将田代。中迫監督は「予想以上に時間がかかったが、ようやく原石が光り出した」と手応えを感じている。
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