南日本新聞のウェブサイト373news.comです

メニューをとばして本文へ移動します
県内ニュース スポーツ 社  説 南 風 録 黒ヂョカ 映画案内 きょうの催し 気象情報 おかいもの
桜島ライブカメラ 動画歳時記 懐かしフォト 焼酎蔵めぐり サッカー王国 こどものページ そいじゃが通信 母 校 便 り 見学アルバム

特別賞・南日本新聞社賞
※タイトルは本人の字を使用しています

 新村 えりな  鹿大付属小3年 


おじいちゃんへの手紙 
 学校から帰ると、いつも元気なおじいちゃんが、すごくしょんぼりしていました。何度も何度もため息をつくのです。
 わたしのおじいちゃんは六十六才ですが、仕事に魚つりにゴルフに庭いじりと、何でもとことんがんばるスーパーおじいちゃんです。そんないつもにこにこえ顔でやさしいおじいちゃんの様子がおかしいのです。気になってしかたがなく、母に、そっとたずねてみました。母は少し心配そうな表じょうで
「実は、今日のけんさで手じゅつをしないといけない病気が見付かったらしいのよ。」
と、話してくれました。
 この話を聞き、わたしはきょ年の自分のことを思い出しました。わたしは去年の十二月急せいはいえんのため、五日間、病院のベッドの上ですごしました。初めての入院で不安だったわたしを、おじいちゃんはいっぱいいっぱいはげましてくれました。そんなおじいちゃんのために、何かしたいという思いが、心のそこからわいてきました。
 その夜、さっそく姉と何ができるかそうだんし、「早く病気がなおってほしい」という願いを、手紙に書こうと決めました。わたしは、「早くなおりますように」と言う気もちをこめ、一文字一文字ていねいに書きました。おじいちゃんをはげます自作のしも考えて、手紙の下の方に書きました。
 次の日、「おじいちゃんへ 〜えりなより〜」と書いたふうとうに手紙を入れ、入院するおじいちゃんに手わたしました。おじいちゃんは、うれしい気もちをかくすように、
「おばあちゃんに見付からないように、病院でこっそり読むね。」
と、小声で言って車にのっていきました。
 次の日、さっそくお見まいにいきました。すると、まちかねたようにおじいちゃんが、
「手紙、ありがとう。元気が出たよ。がんばるからね。じいちゃんはすごく幸せ者だ。」
と、少してれながら、でも、いつもの笑顔でうれしそうに言いました。わたしは、少しだけ安心した気もちになりました。
 それから、おじいちゃんと病気とのたたかいが始まりました。いつも元気で、じっとすることがなかったおじいちゃんにとって、なれない入院生活はとてもつらそうでした。
 そんなおじいちゃんのそばには、いつもわたしの手紙があったそうです。ベットのまくら元において読んだり、服のポケットに入れて検さに出かけたりと、かならずあの手紙を身に付けていたと、母が話してくれました。
 いよいよ、手じゅつの日がやってきました。病院に行きたかったのですが、姉とるす番することになりました。わたしたちは、目をとじて、両手を合わせ、
「ぶ事に終わって、早く元気になあれ。」
といのりつづけました。いのりながら、わたしは不安だった気もちが、きっとだいじょうぶという気もちにかわっていきました。だって、おじいちゃんには、わたしや家族、そして、あの手紙がついているんだもん。病気に負けるはずなど、ぜったいにないと。
 次の日、母におねがいして、お見まいにつれていってもらいました。部屋に入ると、おじいちゃんはねむっていました。その時も、あの手紙がまくら元にありました。新しいびんせんに書いたはずなのに、今では、まるで十年前の手紙のようにほころんでいました。きっと、何度も何度も読んでくれたんだろうなと思い、うれしくなってきました。
 しばらくしておじいちゃんは目をさました。そしてわたしに気付きました。
「おじいちゃん、だいじょうぶ。」
と、わたしはおそるおそるたずねました。すると、おじいちゃんは、ゆっくりと大きくうなずきながら、まくら元からそっと手紙を取り出し、両手でひらきながら
「この手紙が、おじいちゃんにがんばろうという気もちを出させてくれたんだよ。この手紙のパワーはすごい。ありがとう。」
と、言ってわたしの手をぎゅっとにぎりました。わたしもにぎりかえしました。その時、おじいちゃんの手から、わたしの心にじんわりとあたたかい気もちがつたわってきました。
 たいいんしたおじいちゃんは、前よりも元気になりました。今度、つりに行くやくそくもしました。わたしは、元気になったおじいちゃんを見ながら、あんなに短い手紙でもおじいちゃんに力をあたえられたことに、あらためておどろきました。そして、心をこめて手紙を書いて、本当によかったと思いました。
 今でもおじいちゃんは、あの手紙を大切にもっってくれています。わたしは、そんなおじいちゃんが大すきです。これから、おじいちゃんがもっともっとおじいちゃんになってもわたしとあの手紙が守ってあげるから、ずっと元気で長生きしてくれると信じています。
 【評】何でもとことんがんばるスーパーおじいちゃんが、手じゅつをしなければならない病気になりました。えりなさんは、自作の詩をそえて、はげましの手紙を書きました。
 おじいちゃんは、手紙をはげみにして、つらい入院生活をのりこえて退院をします。
 えりなさんの手紙は、「十年前の手紙のようにほころんで」と、ひょうげんされていて、いく度もおじいちゃんをささえたことを、ものがたっています。そのほこらしい喜びが、えりなさんの自信になっていることが、よく伝わってきますね。
 こうして、人と人の心を、手紙に書かれた「ことば」は、しっかりつなぎます。そこには、おじいちゃんとえりなさんの、すばらしいしんらいと、愛があるからですね。すてきな作文です。
児童文学作家・齊藤きみ子





 李 溪源  鹿児島市八幡小4年 


ぼくと「言葉」
「ぼく、学校でいじめられているの。」
ぼくは、やっとの思いで心の中の気持ちを母に話した。母には、ひみつにしたかったけど、ぼく一人で考えることはもう限界だった。ぼくの話を聞く母の顔にはなみだが流れていった。ぼくが話し終えると、母は言った。
「つらかったね。ずっとがまんしていたんだね。今度、先生と話してみましょうね。」
 ぼくの名前は、李溪源。中国で生まれ、四歳まで中国で育った。そのころ、父は日本で学ぶ学生だったので、ぼくは、母・祖父母の四人で暮らしていた。四歳の時、初めて父と会うことができたが、その喜びも少しの時間だけだった。しばらくすると、今度は、父と母が日本へ行ってしまい、ぼくは、祖父母との三人暮らしとなった。そして五歳、ぼくも日本へ行くことに決まったのだった。ぼくは、飛び上がるほどうれしかった。なぜなら、父母といっしょに暮らせるのだから。祖父母も大好きだったけど、やっぱり父母といっしょにいられることが何よりの喜びだった。でも、はじめての日本には、中国とはちがう日本の習慣があり、そのすべてに慣れるにはたくさんの時間がかかった。ぼくが、一番困ったこと、それは、「言葉」だった。ぼくは、「言葉」で何度も何度も泣いた。友達がぼくをほめても、悪口を言っても泣く。言葉の意味が分からない。ぼくに伝えていることが分からない。悲しかった。つらかった。中国に帰りたいと思った。
「中国人だから、いやだ。気持ち悪い。」
友達の言葉が少しだけ分かるようになってきたころ、友達は、そう言ってきた。そして、中国人であるぼくを差別するようになってきた。知らんぷりをしたり、物を投げてきたりもした。けんかの後も必ず「中国人だから。」と言ってきた。「どうして、中国人だから…と言うの。」ぼくは、悲しくて「何で。」と友達に聞いたけど答えてくれなかった。ぼくは、いじめのことを一人でがまんしていた。やさしい父母には絶対に心配をかけたくなかったからだ。「ああ、いい友達ができたらいいなあ。」心の底でいつも思っていた。でも、毎日いいことはなくて、いじわるだらけだった。
「学校はどう。何かあったら言いなさい。」
ある日、母が話しかけてきた。ぼくは、
「だいじょうぶ。楽しいよ。」
とがんばって言った。でも、なみだがじわりじわり出てきて止まらなかった。ぼくは、決心して少しずつ話し始めた。みんなと言葉がちがうこと、中国人だからぼくだけ差別され、さびしいこと。友達が遊んでくれないこと。母は、ぼくの話をじっと聞いてくれた。全部話し終わったぼくは、なぜかほっとし、話してよかったと思った。母は、ぼくの目を見た。そして、最後に言った。
「いじめをなくすには、相手の気持ちを理解すること。自分のこともふり返り、悪いところは変えていくこと。」
 ぼくは、「中国人だから、ぼくだけいじめられる。」と思っていた。でも、その一言を聞いて、それだけが理由でないことに気づいた。李溪源というぼくの悪いところも変えていかないといけなかった。友達になりたいと思ったら、友達をすぐにさわっていたぼく。急にさわられた友達は、びっくりしておこり、ぼくをたたいてきた。だから、ぼくもお返しをしてたたいた。他には、友達にまちがって当たってしまった時も何も言わないで知らんぷりをしていたぼく。友達はいやな顔をしていた。ぼくは、友達と仲良くなるためにまず、友達をおどろかせないように友達の名前をよび、「いっしょに遊ぼう。」と声をかけ、「いいよ。」と言う言葉を待つことにした。そして、すぐに「ごめんなさい。」と言うようにしてみた。この二つだけのぼくの変身だったけど、この「言葉」を使った変身が友達とぼくを少しずつ仲良くしてくれた。
 今、ぼくには、とてもいい友達がたくさんいる。友達も「いっしょに遊ぼう。」と休み時間に声をかけてくれる。ぼくは、うれしくてたまらない。いじめられたときの気持ちを忘れることは今でもできない。でも、今、ぼくの周りで、すごく大きな変化が確かに起こっている。それは、ぼくが「ぼく」をみつめ、母が、父が、友達が、先生がぼくを見守り、支えてくれたからだと思う。ぼくにとっての「十年間」はとても素晴らしく、楽しい時間だったと今なら言うことができる。そして、今なら分かる、「言葉」の重み。あのころ、みんなはぼくに何を伝えたかったのだろう。
 人の心と心をつなぐ「言葉」というもの。うれしいことも、悲しいことも「言葉」が伝えてくれる。たった一言の「言葉」から人と人はつながっていく。
 十一歳、もうすぐぼくは、中国へ帰る。
 【評】溪源君の心の痛みや悲しみについて、深く考えさせられる作文でした。それは同時に、私たちに、言葉の持つ働きや役割を、あらためて教えてくれる内容でもありました。
 溪源君は文章を、過去のつらい日々、お母さんとの話し合い、現在の楽しい毎日の、大きく3つで組み立てています。このことが、きびきびとした文の積み重ねとあわせて、「たった一言の『言葉』から人と人はつながっていく」という訴えの効果を高めていました。
 結びの言葉も印象的です。中国に帰ってからの幸せな生活と、日本の友だちとの楽しい交流を、心から期待しています。
MBCラジオ「私たちの作文」選評者・田實健一

 

ピックアップ
ニュース・コラム
情報
スポーツ
オリジナルコンテンツ
 
 
 
県内ニュース スポーツ 社  説 南 風 録 黒ヂョカ 映画案内 きょうの催し 気象情報 おかいもの
記事・画像等の一切の無断転載、二次利用をお断りいたします。これらの著作権は南日本新聞社または各情報提供者にあります。