※タイトルは本人の字を使用しています
| 上木 進伍 | 奄美市宇宿小5年 |
「おおい、サブロー。この中にいるのか。」
ぼくは、チョウの群れに話しかけてみたが返事が返ってこなかった。
サブローというのは、ぼくが四年生の夏休みに、理科研究で幼虫から成虫まで育てたリュウキュウアサギマダラの名前だ。成虫を観察したら、すぐににがしてやった。集団えっ冬をするめずらしいチョウなので冬休みに観察をしに来た。サブローがいると信じて、ぼくはまた話しかけた。
「仲間がいっぱいいてよかったな、サブロー。春にはまた、ぼくの家に帰って来いよ。」
そして、ぼくが五年生になった春に、サブローがぼくの家に帰ってきた。卵を産み付けてくれるようにと庭に植えた食草のツルモウリンカに、数頭のリュウキュウアサギマダラがヒラヒラと飛び交っていたのだ。実際にこのチョウが本物のサブローかどうかは分からないが、ぼくは、そう信じた。サブローがとまっていたツルモウリンカの葉を注意深く見てみると、あった。卵だ。感動とこうふんであわてながら図かんで調べてみると、まちがいなくリュウキュウアサギマダラの卵だ。カスタードクリームのようなうすい黄色で、米つぶのような形をしている。ぼくはこの卵にサブジュニという名前をつけて観察をすることにした。次の日は、全く変化が見られなかったが、その次の日には、卵のてっぺんに黒いほくろのようなものが見えた。その黒いものは日に日に大きくなっていった。ぼくの予想では、ここが頭になる。卵のてっぺんが完全に黒くなった。今度は、その下に黒いぼうのようなも様が出てきた。まるでマラカスみたいだ。きっともうすぐふ化するぞ、とぼくはうれしくなってきた。次の日、
「今日こそ変身したかな、サブジュニ。」
と、声をかけ、うきうきしながら飼育ケースをのぞいてみた。サブジュニがいない。卵がついていたはずの葉に、卵のからさえついていない。
「どこにかくれているんだよ、サブジュニ。」
と声をかけながら飼育ケースの中をていねいに探してみたけれど見つからない。ふ化した後の卵のからを食べてしまうことは分かっていたので、ケースの中にサブジュニがいることを信じて、やわらかそうな新しい葉を入れてしばらく待つことにした。
それから四日間いくら探してもサブジュニは見つけられなかったがぼくは新しい葉を入れ続けた。
そして五日間の朝、やっと見つけたサブジュニは、何事も無かったかのようにツルモウリンカの葉をムシャムシャと食べていた。
「やっぱりかくれていたんだな。心配させるなよ、サブジュニ。」
その日は、いつもより多めに新しい葉を入れてやった。
サブジュニは、黒地に水色のおしゃれな幼虫だ。頭とおしりにアンテナのような角が二本ずつある。だっ皮をするときは頭の部分をヘルメットのようにカポッとぬいで、皮は食べてしまう。食いしんぼうのサブジュニは、うんうんとうなずくようにツルモウリンカをムシャムシャ食べて、あっという間に大きくなっていった。大きくなったサブジュニは、本当にたくさんの葉を食べるので、新せんな葉を補充するのが毎日のぼくの仕事になった。
ある日、サブジュニはおしゃれな幼虫の皮を脱ぎ捨ててきれいな黄緑色のサナギになった。エナメルバックのようにつやつやしていてとてもきれいだ。はちまきをしたタコのようなおもしろいも様も入っている。そっとさわってみると思ったより固くておどろいた。羽化したサブジュニは本当に美しい。こげ茶色の羽にあわい水色のも様が入っている。まるでステンドグラスのようだ。
こうしてぼくは今年も自分で育てたチョウを飛びたたせることができ、すがすがしい気分になった。自分が大空を飛んでいるように。
【評】チョウ好きの人なら、いちどは目にしたいと願っているリュウキュウアサギマダラの越冬風景。新聞紙上で写真を見るだけでも胸がときめきます。進伍君が「サブロー」と呼んでいるのは、4年生の夏休みに、幼虫から成虫まで育てたこのチョウの名前です。サブローは、進伍君が5年生になった春、庭の食草に卵を産みつけます。この作文は、それを「サブジュニ」と名づけ、成虫まで育てた記録です。「カスタードクリームのようなうすい黄色で、米つぶのような形」とか「まるでマラカスみたい」「だっ皮をするときは頭の部分をヘルメットのようにカポッとぬいで」などと比喩を使った表現がみごとです。これからも、サブローたちが住む島の自然を大事にしてください。
(鹿児島国際大学短期大学部教授・種村エイ子)
| 橋元 彩 | 鹿児島市八幡小6年 |
レースを終えた私は、陸上競技場の階段の陰に一人だけ呼ばれ、係の先生からそう告げられた。グラウンドでは、私が立つべき一番高い場所で違う人が満面の笑みを浮かべていた。大きな拍手が聞こえてきた。私は今、目の前の出来事が「夢であればいいのに。」と思っていた。しかし、それは夢でも幻でもなかった。すべてが現実のことだった。
市の陸上記録会、私は六年女子八百メートル走の学校代表として出場した。六年間の中で、一度しか参加できないレース。私は絶対に優勝したいと、一年前から練習を積み重ねてきた。
夏休み、私は早朝五時から三時間あまりの練習をした。八百メートル走はトラックを二周する競技。人間にとって最も苦しい状態になるレースである。だから、練習ではそんな苦しさを体験するため、走って呼吸が整わない中で全力で走るインターバル走を繰り返した。
汗が滝のように流れ、呼吸が苦しくて涙が出た。それでも、泣きながら走った。歯を食いしばって我慢した。だから、大会直前には昨年度の優勝タイムを上回る速さで走ることができるようになっていた。自信をもって陸上記録会に参加できると思った。
当日、私はこの日のために買ったお気に入りの白いスパイクを持って大会会場である鴨池陸上競技場に行った。レースが始まるときには、心臓の鼓動が自分の耳にも聞こえるくらい緊張していた。
スタートラインに並んだ。他校の選手がたくさんいたが、私の目には誰も映っていなかった。目の前には赤いタータンと白いコースラインだけ。ものすごく集中していた。
「よーい、ドン。」
スタートのピストルが鳴った。私はパッと飛び出した。走りやすい位置を取るためだ。走り出して五メートルで先頭に立った。「飛ばしすぎかな。」少しだけ考えたが、そのままのペースで走ることに決めた。「弱気になったらダメだ。」自分に言い聞かせた。
百メートルを過ぎる地点で、他の選手を五メートルほど引き離した。靴音は聞こえない。行くしかないと思った。四百メートルトラックを一周した頃、急に胸が苦しくなった。足が重くなって「辛い。」と感じた。
でも、もう走り続けるしかない。私はスピードを上げた。二周目の向こう正面を走る時には、「ハアハア」と吐く息が荒くなった。胸が痛くなる。「苦しい。止めたい。死にそうだ。」いろいろな思いが酸欠状態になった頭の中でグルグル回っていた。足が鉄の鎖を何個もつけられたように重い。「もう、走れない。」弱気の虫が頭をもたげた。
そんな状態でも足は前に進めた。一秒でも速く、一瞬でも速くゴールを目指す。ラストの直線に入る。「あの線までいけば終わり。もう走らなくていい。」そんな気持ちが、動かない足を前に押しやる。「ゴール。記録は二分三十六秒の自己新記録。」うれしかった。跳び上がりたいほどうれしかった。
しかし、次の瞬間、思いもかけない言葉を聞いた。
「スパイクをはいているね。」
それから一ケ月、私は走れなかった。走る気力がわいてこなかった。「私が何をしたのだろう。」そんなことばかり考えていた。
「彩、散歩に行こうか。」
そんなある日、いつも一人で走りに行っていた父が私を誘った。私はあまり気乗りがしなかったが、一緒に外に出た。記録会から一ケ月が経っていた。空は真っ青に晴れ渡り、空気も澄んでいた。
「彩、ちょっと走ってみようか。」
サッと走り出した父につれられて、私も走り出した。ひんやりとした空気が気持ちよかった。
「彩と一緒に走っている時が一番幸せな時間だよ。」
突然、父がつぶやいた。私は驚いて、隣を走る父の顔を見た。父はまっすぐ前を向いたままだった。「父も辛かったんだ。」そう考えると、急に胸のあたりが熱くなり、涙がこぼれ落ちそうになった。私は父に見られるのが恥ずかしくて、スピードを上げた。
「彩、久しぶりだから無理するなよ。」
私は父の声に聞こえないふりをして、一段とスピードを上げた。さわやかな風が私の体を優しくなでた。一ケ月ぶりの走りはとてもここちよかった。
「私、また走るから。だって、走ることが大好きだから。」
私は走りながら大声で叫んだ。
「彩、待てよ。」
後ろで父の弾んだ声がした。
【評】「スパイクをはいていたから失格」、彩さんだけでなく、お友だちもご両親も指導の先生もみんな残念だったと思います。800メートル走に備えたきびしい練習は、「汗が滝のように流れ」、「泣きながら」、「歯を食いしばって」の言葉から、その姿を想像することができます。大会当日の状況は、「五メートルで」、「百メートルを過ぎる地点で」など、距離を示しながら細かく書けていて、テレビの実況放送を見ているようでした。終わりの「さわやかな風が私の体を優しくなでた」に、彩さんの大好きな走ることへの希望が凝縮されていました。優勝という賞は、もらえませんでしたが、それ以上に光り輝く大切な心の賞がもらえたと思います。
(鹿児島国語教育研究会顧問・野田實)












