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鹿児島名物・路面電車。
現在の路線をめぐる「旅」はひとまず終わり。今度は懐かしの旧伊敷線・上町線の沿線を訪ねて、“旅”に出ませんか。
今はもう電車は走っていないけど、かつて電停があった周辺は、今でも魅力がいっぱい! |
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…旧伊敷線
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六月燈の発祥の地
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| 鹿児島の夏の風物詩・六月燈は、もともとここ新照院が始まりだった。島津十九代藩主光久が、以前この地にあった上山寺の観音堂に参詣する際、たくさんの灯ろうを灯した。それにならって一般
の人々も灯ろうを寄進してお参りするようになったのだという。 |
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まずは、電車が走っていたころの話を聞いてみよう。訪ねたのは、国道3号沿いの「中原商店」。
「あのころは、車が安全地帯の横壁に激突する事故が多くてねえ。一度は、大型トラックがぶつかったはずみで、うちの店の中まで入ってきたんですよ」と奥さん。
電車が廃止になって事故は減ったけれど、スーパーの出店、食生活の変化でお客さんの数はずいぶん減ってしまったそうだ。
「暇になったから、温泉に行く時間ができましたよ」とご主人が苦笑い。10キロ、15キロ入りの米が売れ、休みなしで営業していた時代のことを懐かしそうに話してくれた。
二人は、結婚して50年。これからも、夫婦仲良く頑張ってほしいな。 |
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町のことをもっと知りたくて、「新照院町公民館」に寄ってみた。中をのぞくと、運良く新照院町青壮年部長の谷口昌宏さんに会うことができた。
「この町が六月燈の発祥の地なんですよ」と見せてくれたのは、14代市長・勝目清氏が書いた六月燈の回顧録のコピー。
それによると、島津光久が、以前この地にあった上山寺観音堂にたくさんの灯ろうを献じて参詣したのが六月燈の始まり。勝目氏も一時期新照院町に住んでいたが、その屋敷内にあった石仏が、実はこの上山寺の観音像だったそうだ。
現在、観音像は町内の別の家の庭に移されている。六月燈の季節になると、由来を聞いてお参りにくる人が増えるという。
「生まれ育った新照院の町をもっとみんなに知ってほしい」と、子どものころの話をたくさん聞かせてくれた谷口さん。昔話をしてくれる人がいるって、ありがたいよね。 |
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車一台通るのがやっとの細い路地に入ると、緑や石塀に囲まれた静かな住宅が見えてきた。情緒ある家並みは、まるで映画の舞台のよう。
途中で、「瀬戸山染工場」の看板を発見。こんな所に工場? 石段を上ると、突き当たりに作業場らしき建物が見える。
「天日で乾燥させるので染めの作業ができるのは、快晴の日だけ。染め上がりは、湿度や日当たりで違うんですよ」と、2代目の瀬戸山一郎さん。
なんと、この方! スペースシャトル「コロンビア号」に乗って宇宙旅行をした県シンボルマーク旗を染めた人なんだって!
空を泳ぐ…といえば、こいのぼり。子どもが多かった昭和40年代は、こいのぼりの注文が、500ほどあったそうだ。今はその10分の1になり、校旗や社旗、のれんの注文が主。
注文を受けたら、生地と柄・レイアウトを決め、型を彫る。その型を使って防染。次に染料を塗り、乾燥させる。熱処理をして水に一晩浸し、2度目の乾燥…と、すべて手作業だ。縫製は、奥さんのミサヱさんの役目。
「自分が染めた品は、どれもわが子のよう」という瀬戸山さん。もしかしたら、私たちは町のあちこちで、瀬戸山さんちの子ども(?)に会ってるのかもしれないな。 |
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ここまで来たら、城山観光ホテルまであと少し。頑張って歩いてみよう。歩くこと15分。ふう〜、やっと目当ての「ベーカリーしろやま」に到着だ。
どれにしようかなあ。どれもこれもおいしそうで、迷ってしまう。それもそのはず。全部で100種類以上もあるんだって!
スタッフにおすすめを聞きながら、おやつ用に「ロングカッター」「パンプキンカップ」…、朝食用に「プチッチーズ」と選んでいたら、トレーがいっぱいになっちゃった。
ついでに、ベーカリーショップ横にある自然食の店「生命力館」に寄ってみよう。
野菜や塩、しょうゆなど200近い品目の中で、ひかれたのが「自然食愛好家のハミガキ・デンシー」(430円)。
成分は、天然の塩分とナスビの黒焼き。と、いうことは、黒いの? さっそくホテルの洗面
所で使ってみることに。
どひゃあ〜! 覚悟はしていたけれど、イカ墨料理を食べたみたいに、真っ黒!
お歯黒姿を人に見られたら困るけれど、この黒さが歯茎に効きそう!? おっくうな歯磨きが、今夜から楽しくなりそうだ。
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イラスト 国生 敬 kokusho@ruby.ocn.ne.jp
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