タイムマシンがあれば、ぜひ会ってみたいのが、栗を初めて「くり」と呼び始めた人だ。だって気になりませんか? あの形と色つやと風味をこれほど見事に表現した言葉がどうやって生まれたか。「く・り」という言葉を口の中でころがしただけで、しあわせな気分がからだ中に広がる。フランス語の「マロン」も、英語の「チェストナット」も、この語感にはかなわない。
とげとげした“いが”をきゅっと踏むと、中からのぞくつやつやした秋の色。甘栗の皮をむくときの妙に真剣な表情と黒ずんだ指先。そして栗ごはんが炊きあがったときに、広がる湯気の香り。栗の記憶は、どれも豊かで香ばしい。
その一方で、栗は子供たちに、大人への第一歩を踏み出させる存在だ。ある日、ふと気づく。
「栗ごはんの中から栗だけほじくって食べるのは恥ずかしいふるまいだ」
栗だけを抜き出したあとのごはんが美しくないことを知った子供は、二つをバランスよく箸の上に乗せて、こぼさないようにそっと口元に運ぶ。その瞬間広がる、ごはんと栗が醸し出すハーモニー。
こうして栗は人に調和の大切さを教えてくれる。
●撮影協力「とり銀」
住/鹿児島市西田2丁目20の10 瑞穂ビル1F
電/099(255)3285
|
|
|