( 1/17 付 )

 倒壊した高速道路の断面から針金のように曲がった鉄骨がむき出しになり、高層マンションは斜めに傾いていた。「ドン」と突き上げる余震に何度も襲われ、身構えた記憶は今も鮮明だ。

 未明の激震が多くの人命を奪った阪神大震災からきょうで丸23年になる。発生から4日後に取材班の一員として被災地に入った。大学時代を過ごした神戸の街は変わり果て、自然の猛威に立ち尽くすしかなかった。

 「こんなときはお互いさまや」。がれきの山と焼け野原が広がる街には、支え合う人々の姿があった。現地で譲り受けた自転車で取材し、夜は復旧作業に追われる水道局の一角に寝袋を広げさせてもらった。

 長期化した避難生活でも被災者は結束力を発揮していた。和泊町出身の男性は、1000戸もの仮設住宅が立ち並ぶ「東加古川団地」で、毎朝ラジオ体操の集いを開いていた。一人でも多くと顔見知りになり、「孤独死」を減らしたいと願っていた。

 阪神大震災が起きた1995年は「ボランティア元年」と呼ばれる。全国各地から駆け付けた大勢の人々が、がれきや土砂の撤去に汗を流す光景は普通になった。あの時の「お互いさま」が原点だろう。

 今年3月、発生から7年を迎える東日本大震災では今もなお、8万人近くが避難を続ける。災害はいつ、どこでも起こり得る。万一の備えとともに助け合う大切さを改めて胸に刻みたい。