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 台湾北部の観音山は緑豊かな人気の観光地だ。標高は616メートルと高くないが、頂上付近は多くの峰が連なる。およそ1キロの坂を登り着いた山頂は意外と狭く、四方を険しい崖が囲む。

 おととい97歳で亡くなった台湾の李登輝元総統は著書「新・台湾の主張」で「総統になるのは、まさに観音山の頂上に立つようなものだ」と振り返っている。「何かあっても助けてくれる人はだれもいない」と最高権力者の孤独も吐露する。

 1988年に台湾出身者として初の総統に就任し、民主化を目指した。権力の中枢にいたのは中国大陸出身者たちだ。長老が居座り続ける立法院など民主化を阻む複雑なからくりを「だれにも悟られないよう一つひとつ外した」。

 その巧みな政治手腕で96年に初の総統直接選挙を実現し、外来政権に終止符を打つ。台湾の歴史をひもとく教科書の導入など、教育面でも改革を進めた。地道に育てた民意が、中国の圧力をはね返す原動力となったに違いない。

 日本統治下に生まれた。京都大で農業を学び、親日家で知られた。台湾南部の嘉南平原を豊かな穀倉地に導いた日本人技師・八田(はった)與一(よいち)にスポットを当てたのも李氏である。八田の誠実さや自己犠牲といった精神に感銘を受けたからだ。

 「台湾民主化の父」が残した功績は、こうした精神が支えになっていたのかもしれない。日台をつなぐ大切な懸け橋を失った。