( 8/13 付 )

 テレビから聞こえる金属バットの「カキーン」という快音が、今年はいつもより大きく響く。甲子園球場で開かれている無観客の高校野球交流試合である。きのう登場した鹿児島城西は、敗れはしたが全力を尽くす姿がまぶしかった。

 選手たちにとっては、一度は諦めた舞台だった。新型コロナ禍の緊急事態と理解はできても、3月に選抜大会の中止が決まったときは無念だったろう。各校1試合ずつとはいえ、高校球児の聖地でプレーできて本当によかった。

 球場は静かでもテレビ桟敷は大いに沸いていることだろう。ドラマが生まれるのが甲子園の魅力だが、通常の春の選抜、夏の選手権で約4000校の頂点に立つのはそれぞれ1校だけだ。多くのチームが敗者としてグラウンドを去る。

 文芸評論家の加藤典洋さんが著書「敗者の想像力」に興味深いことを書いている。非勝利者としての経験や自覚があってこそ培われるものの見方や感じ方、まなざしがあるというのだ。

 世の中では力を出し切っても報われないことはままある。むしろ、そんな場面の方が多いだろう。失意の底で人間の幅を広げる心掛けを学べれば、勝利の高揚感に劣らぬ生涯の宝になる。

 若者たちがスポーツで力を競ったり、文化活動の成果を披露したりする機会を新型ウイルスが奪っている。だが将来、成長の礎となった「あの夏」と思い返すときはきっと来る。