( 8/21 付 )

 ようやく手に入れた航空券をキャンセルしたのは出発の1週間前だった。35年前の8月12日、乗るはずだった羽田発大阪行き日航123便は群馬県の山中に墜落、乗員乗客520人が亡くなった。

 知人は大阪経由で鹿児島へ帰省する予定を変更し、この日は家族らとフェリーに乗った。九死に一生を得たとはいえ、当便をキャンセルしたことは、しばらく誰にも打ち明けられなかったという。

 遺族らが毎年、墜落現場の御巣鷹の尾根に慰霊登山するニュースを見るたびに心が痛んだ。自分の代わりに乗った人のことを思うと負い目を感じ、「その人の分まで自分は世の中のために生きてきたのか」と今でも自問している。

 哲学者の内田樹(たつる)さんは著書「呪いの時代」で「厄災から生き延びたことを単なる偶然と言ってはいけない。意味があると思わなければ、死んだ人間は浮かばれない」と書いている。自らに問い掛ける知人の心境にも通じる。

 8月は原爆忌、終戦記念日、盆と亡き人をしのぶ日が続いた。1発の爆弾によって何万という罪なき民が命を落とし、戦地では兵士が銃弾や病、飢餓に倒れた。27年前には8・6水害などで多くの鹿児島県民が亡くなった。

 命と向き合う8月を振り返る時、追悼の念とともに今を生きる者としての務めを果たしているだろうかといった戸惑いが胸に去来した。せみ時雨がそんな思いをせき立てる。