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 鉄道網が鹿児島まで敷かれていなかった1884(明治17)年、串木野の実業家・入来定穀(ていこく)は東京まで出掛けていった。

 鹿児島港から船に乗り長崎、博多、神戸などで寄港や投宿を繰り返して横浜に入り、鉄道に乗る。東京に着くまで6日かかっている。入来は日誌に各地の発着時間や運賃などお金のやりとりを細かく記した。当時の長旅の様子は興味深い。

 実は本人には悲しい旅だった。東京の大学で学んでいた弟が急死し、遺骨を引き取りに向かった。訃報が届いた日の衝撃と落胆ぶりは甚だしく、出発前は次々に預かりものを託されて「義理と理において拒むに拒まれず」と困惑をにじませている。

 ずいぶんまめな性格だったようで、明治から大正まで30年分の日誌がいちき串木野市のひ孫宅に現存している。日常生活では飲み会が多く、お金や風呂の貸し借りにも及ぶ濃密な近所付き合いなど、明治のふるさとの姿に触れられる。

 日誌の内容を知ることができるのは、串木野古文書会が解読や出版を手掛けているからだ。原本には読めない文字、今では使われない言葉が多く、1年分の解読に3~4年かかるというから苦労は並大抵ではない。

 これまでに出版されたのはまだ2年分。30年分全ての出版を目指しているが、世代をまたいでの取り組みになりそうだ。貴重な記録を後世まで伝える入来定穀のような人材が欠かせない。