( 9/29 付 )

 大きな画面が升目状に分割され、参加者一人一人の顔を映し出す-。先日、オンライン会議を初めて体験した。熊本や宮城など全国各地から参加したが、映像や音声が乱れることはなくスムーズだった。

 これならわざわざ集まる必要はないかもしれないと感じる半面、物足りなさも覚えた。会議が終わり、画面が消えると、縁まで切れたような。コロナ下でなければ、懇親会で膝をつき合わせ、議論を深めることもできただろうに。

 大学の授業もしばらくはオンラインが多くなりそうだ。間もなく後期が始まる鹿児島大学は、キャンパスにほとんど足を運んでいない新入生らに配慮して対面も取り入れるが、わずか4週間しかない。

 県外の大学に進学しながら、親元にとどまって画面越しの講義を受け続けている学生もいると聞く。思い描いていた新生活と現実のギャップに、心身の不調を訴えるケースもあるという。長引く厄災が恨めしい。

 「“1密”も許されない雰囲気がある」。ある大学の教員が漏らしていた。高校生と比べれば行動範囲が格段に広い学生の感染リスクを考えると、対面再開には相当な覚悟が要るのだろう。

 学生時代を振り返れば、キャンパスやアルバイトでさまざまな人たちと触れ合い、多様な考え方を知った。だが、今だから経験できることもあるのではないか。それを探し、見つけるのも「学び」に通じる。