( 10/1 付 )

 昔々、ある若者が中秋の名月の酒宴に向かっていた。道すがら月の光にいざなわれ、お堂の前の岩に腰掛けて笛を吹いていると、見たこともない美女が現れた。静かに笑みを浮かべて、自分の家に来ないかと誘う。

 「狐狸(こり)妖怪の類いなら見届けてやろう」。導かれた立派な屋敷でごちそうと酒のもてなしを受けるうちに寝入ってしまった。夜中、われに返って急に気味悪くなり逃げ帰ったが、一晩のはずが7日も経過していた。

 薩摩藩で江戸時代に編まれた説話集「倭文麻環(しずのおだまき)」にある大口地方の奇談である。月の光には人の想像力をかき立てる何かがある気がする。その月が米国主導の宇宙開発の最前線になろうとしている。

 月を周回する有人基地「ゲートウエー」を建設し、月面探査の拠点にするという。日本人飛行士の月面着陸を目標とする日本も協力する。月の南極点付近に工場を造り、基地と月面の往復機の燃料を生産する構想だ。

 荒唐無稽に思えるが、2030年代半ばの工場建設を目指すというから、夢物語でもなさそうだ。実現すれば人類の宇宙開発は新しい段階に入る。科学の挑戦に心躍る一方で、月の謎は謎のままでそっとしておきたい気持ちも消えない。

 今夜は中秋の名月。夜空に浮かぶ真ん丸の月を眺めながら、昔の人に倣って幻想の世界に心遊ばせてみるのもいい。<舟べりに頬杖ついて月見かな 山口青邨>