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 眼下に白波寄せる玄界灘を望み、天気が良い日ははるか北の対馬まで見渡せる。400年以上前、佐賀県唐津市の北端に突き出た波戸岬近くに陣を築いた戦国武将・島津義弘も、同じ景色を眺めたことだろう。

 豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点とした名護屋城周辺には、徳川や上杉など名だたる武将の陣が並んだ。これまで150カ所近い跡が確認されている。島津の陣も佐賀県による2016年度からの調査で往時の姿がうかがえる。

 県立名護屋城博物館の企画展「鬼島津が遺(のこ)したもの」は、その武勇から“鬼”と恐れられた義弘の人物像まで幅広く紹介する。鹿児島や宮崎のほか、中国や韓国からも史料を取り寄せるほど力を入れている。

 陣の中心部は推定50メートル四方で、高さ2メートルの石垣や飛び石状の遺構などが残る。周辺にも多くの曲輪(くるわ)(区画)があったとみられ、全体は5万平方メートル以上という広さを誇る。

 当時の様子は展示中の島津家文書「高麗入(こうらいいり)日記」に詳しい。陣にありながら、三男忠恒(ただつね)(後の家久)は蹴鞠(けまり)や茶の湯を楽しみ、時には磯遊びへ出掛けた。戦を前にして、不思議なほどの落ち着きぶりは興味深い。

 城と陣跡一帯は特別史跡に指定されており、調査とともに保存へ整備も進められている。近くに散策道も通っており、絶好の観光スポットになりそうだ。今も変わらぬ雄大な海を眺めながら、義弘らの時代に思いをはせる。