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 その男の子は、華やかな宝塚歌劇を見るのが何よりの楽しみだった。少女雑誌の着こなし特集を眺め、イラストを描いていると時がたつのを忘れた。

 兵庫県出身の服飾デザイナー高田賢三さんの小学生時代である。高校卒業後は神戸市外国語大学に進むが、東京の文化服装学院が男子にも門戸を開いたのを知った。自分に正直に生きようと決断し、父親の猛反対を押し切って入学し直したという。

 自伝「夢の回想録」によると、不安も抱えていたらしい。1960年代、日本ではまだ「男が裁縫を学んでどうする」という風潮が一般的だったから無理もない。だが、65年に冒険旅行のつもりで訪れたパリには新しい世界が広がっていた。

 「当たって砕けろ」の精神でデザイン画をブティックに持ち込んだら「おいくら?」。自分のデザインがお金になることに気付いた瞬間だった。好きなことを職業にできる手応えに、胸が高鳴ったに違いない。

 花や動物の大胆な柄、鮮やかな色彩、民族衣装からの着想が作品の特徴だ。上流階級向けの高級注文服が中心だったパリのファッション界で、動きやすいデザインを広めた立役者の評価は揺るがない。

 高田さんの冒険は、新型コロナ感染で幕を閉じた。享年81歳。パリの献花台には市民が色とりどりの花を供えている。夢の続きは、ケンゾーに影響を受けた世界中のデザイナーに引き継がれた。