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 「今度こそ死ぬかもしれない。何度もそう思った」。宮城県の南三陸消防署などが編集した「東日本大震災 消防隊員死闘の記」は、救助活動の模様を生々しく伝える。

 大津波警報発令中、建物に取り残された人たちの救出に向かう。「自分たちがやらなければ」という使命感だけで死の恐怖を押し殺した。自分の家族の安否も分からない不安。立ったまま仮眠し次の現場に出動した。

 避難所の様子もつづられる。携帯電話など通信手段は途絶えた。外は雪が舞っていたが、停電で暖房器具は使えない。低体温症の危険がある高齢女性の体を4人がかりでさすったり、添い寝をしたりして保温に努めた。

 仲間や身内の遺体を何度も目にして枯れるほど涙を流し、無力感にさいなまれる。自らも被災者でありながら家族のそばにいてやれない。「娘の目に自分はどう映ったのか」。そんな苦悩も記している。

 あすは2016年に始まった国連の「世界津波の日」。1854年の旧暦11月5日に紀伊半島一帯で大地震が発生し、男性が稲わらを燃やして人々を高台に誘導した逸話にちなむ。東日本大震災の教訓を学んで津波への理解を深める日である。

 先日もトルコ、ギリシャ沖のエーゲ海で大地震で起き、高齢女性が津波の濁流に流されて命を落とした。「防災」を「忘災」にしない-。消防隊員らの死闘からは、固い決意が伝わってくる。