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 「この世に摩擦がなかったらどうなるか。記述せよ」。2002年のノーベル物理学賞を受けた小柴昌俊さんが若い頃、講師を務めた中学校の試験でこんな問題を出した。

 正解は何も書かない白紙回答。理由は鉛筆の先が滑って紙に文字が書けないからだ。「生徒が自由に考え、アイデアをひねり出すきっかけに」と出題の狙いを、月刊誌の寄稿で明かしている。

 地下鉱山跡を活用した巨大な観測装置カミオカンデを造り、宇宙のかなたから飛来する素粒子ニュートリノを世界で初めて捉えるなど、独創的な発想で新たな学問分野を切り開いた人である。親分肌で面倒見がよく、後に続く優秀な研究者を何人も育てた。

 ノーベル賞が決まった際に「今後の夢は」と問われ、「教え子がノーベル賞をもらうこと」と答えた。実際、13年後に門下の梶田隆章東大教授が受賞すると、祝福の言葉とともに「いずれはもらうと思っていたけど」と添えたのは、人柄がしのばれる。

 経済効果を優先する国の姿勢には異を唱えた。「役に立たないものにお金を出すのが国家。基礎科学は無駄金を使う覚悟がないとできない」と迫ったのは、日本の未来を案じたからにほかならない。

 折に触れて自ら「東大をビリで出た」と言い、成績表を公開したこともある。子どもたちに「夢の卵を持とう」「やればできる」と励ましの言葉を残し、94歳で旅立った。