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 ちょうど60年前、当時の名瀬市であった民謡大会で27歳の青年が島唄を披露した。伸びやかで澄んだ美声と高音の裏声が響き、耳の肥えた島民で埋まる会場が驚きと興奮でどよめいた。

 「100年に一人」の唄者と呼ばれた武下和平(かずひら)さんらしい逸話である。奄美大島南部のヒギャ唄を独特の節回しで情感豊かに歌い、50曲以上の持ち歌は、いずれも十八番と言える完成度を誇った。そんな名唄者が亡くなった。

 瀬戸内町諸数(しょかず)(加計呂麻島)出身。父の三味線を聞いて育ち、親戚の唄者に習った。中学卒業後、大工になり、転職した保険外交員時代は祝い唄の謝礼代わりに契約してもらった。「芸は身を助ける」とは、まさにこのことだろう。

 名瀬に1974年、「武下流民謡同好会」を設立した。鹿児島市や東京にも設け、転勤で移った兵庫県尼崎市を拠点に教えた。「島唄は奄美の文化そのもの。先祖から受け継いだものを昔からの形で残したい」。流派を名乗ることへの反発も受けたが、信念は揺るがなかった。

 「のどが開く」と黒糖焼酎のお湯割りをすすりながら公演した。語りは滑らか、締めの六調はシマ(集落)の唄遊びを思い出すかのように陽気になった。

 諸数でよく歌われる「野茶坊(やちゃぼう)節」、父が調弦する三味線で覚えた「塩道長浜節」を好んだ。告別式は2曲を含むCDが流れる中で営まれた。島唄に彩られた87年だった。