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 祭りや神事の後、参加者が共に飲食することを「直会(なおらい)」という。慰労会みたいなものと思っていたが、これもまた儀式の一部であることを民俗学者、柳田国男の著書「毎日の言葉」に教えられた。

 神様をお迎えして同じ場所で同じ物を食べる行為自体に、特別な意味があるのだという。昔の人はそんな時、賜り物である食べ物を頭の上に押し頂いてから口に運んでいたはずで、食事を「いただく」の由来と柳田はみる。

 食にありつけることを感謝しつつ、顔を突き合わせて箸を運ぶ。こうして連帯感を育むのは神事に限らず、今も昔も変わらない。だが、世の中には賜り物の出どころに無頓着な面々がいるようだ。

 総務省幹部が利害関係にある民間事業者から高額接待を受けていたことが、相次いで明らかになった。疑惑は歴代総務相ら政治家にも飛び火し、意見交換の場だったとか、飲食代は返金したとか、弁明に追われている。

 利益誘導はなかったのか、表沙汰にならないよう息を潜めている人は他にはいないか、徹底的に調べるべきだ。個人的な会食というなら、癒着を疑われる場に顔を出すことと倫理観の折り合いをどうつけているのか、説明が聞きたい。

 連帯感でつながるべき相手かどうかの判断基準が、国民感情とかけ離れていては困る。政治は「まつりごと」ともいう。神様にも恥じない倫理を求めるのは高望みだろうか。