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 緊張が極まったのか、口元が小刻みに震えるのがテレビの画面越しにも見て取れた。1992年バルセロナ五輪の柔道男子71キロ級決勝。古賀稔彦選手の勝利を信じ、判定結果を手に汗握って見守った。

 開幕直前、後輩の吉田秀彦選手と稽古中に左膝に大けがを負い、歩くこともままならない状態で本番を迎えた。痛み止めの注射を何本も打ち、勝ち進んだ。激闘の末に金メダル獲得を決め、泣いて喜ぶ吉田選手と抱き合って涙を流した姿が忘れられない。

 切れ味鋭い一本背負いで大きな体の相手を豪快に投げ飛ばし、「平成の三四郎」と呼ばれた。最近まで後進の指導や講演活動に精力的に取り組んでいただけに、突然の訃報に言葉もない。

 14年前、CDのレコーディングで奄美市を訪れた際に話を聞いた。徳之島出身で小説「姿三四郎」のモデルの一人とされる柔道家・徳三宝をたたえる歌で、「歌詞も曲も金メダル級だが、歌手は初戦敗退レベル」とおどけてみせた。

 昨年2月の肝付町生涯学習大会に招かれ、青い柔道着で演壇に立った。数々の敗戦を糧に強くなった逸話を交え、挑戦することの大切さを訴えた。質問に丁寧に応じる姿に町民は親しみを覚えただろう。

 引退後に開いた町道場で、子どもたちに「応援してもらえる人になりなさい」と教えた。享年53歳。試合での鬼気迫る風貌とは裏腹な、穏やかな人柄がしのばれる。