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 「仕事の仲間が一人ずつ亡くなっていくのは本当に怖かった」。静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の元乗組員、大石又七さんの証言である。先日87歳で他界した。

 1954年3月1日、太平洋ビキニ環礁で操業中、乗組員23人全員が米国の水爆実験による放射性降下物“死の灰”を浴びた。当時20歳。仲間の訃報に接するたび、死が迫るのを感じたのだろう。自らも病気に苦しんだ。

 核廃絶を強く訴えた存在として知られるが、長い間、被ばく体験を語ることはなかった。差別を恐れたのは広島、長崎の原爆被爆者と変わるまい。十数年後に船の保存運動が起きたときも、蒸し返すのはやめてほしいと思ったという。

 一方で世界から核兵器がなくならないことに怒りを覚えた。「恐ろしさを知っている自分たちが言わないと、いつか大変なことが起こる」。語り部の活動はこんな信念に貫かれていた。ペンを執って複数の本を著したのも伝えたい思いの表れに違いない。

 冒頭の証言を収めた映像は東京・夢の島の第五福竜丸展示館で見られる。近くには大量の被ばくマグロが処分されたことを伝える石碑「マグロ塚」が立つ。これも大石さんの募金活動の成果だ。

 同館によると、存命の乗組員は2人になった。ビキニ事件を忘れないための手掛かりを大石さんは残した。知ろうとする姿勢はあるのかと、今問われている気がする。