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 晴れ間が広がった先週末、鹿児島市のふれあいスポーツランドは桜がちょうど見頃を迎え、大勢の家族連れらでにぎわっていた。マスク姿で静かに花をめでる人たちが目立った。

 昨年の今ごろは花見どころではなかったように記憶する。新型コロナウイルスの感染が全国に拡大し、鹿児島でも初めての感染者が確認された時期と重なった。未知のウイルスがいよいよ足元まで迫り、外出するのにも神経を使った。

 それから1年、日々の感染者は一進一退を繰り返し、変異株の広がりなど新たな不安も忍び寄る。静かな花見は、息苦しさを覚えながらも「新しい日常」を受け入れ、ウイルスとの共存を模索する時代を映しているように思えた。

 ウイルスが身近になっても、感染者に対する世間のまなざしは依然として厳しいようだ。本紙が感染経験者や学校に行ったアンケート調査では、コロナを特別視しない世の中が一日も早く来てほしい、といった切実な声が多く寄せられた。

 感染を理由にした解雇や入店拒否、誹謗(ひぼう)中傷-。こうした差別や偏見が人々の心を深く傷つけ、感染したことを言い出しにくい状況に拍車を掛けている。

 「(感染を)詮索しない、されないものになるべきだ」という専門家の訴えこそ、ウィズコロナ社会のあるべき姿であろう。もし自分や身近な人が感染したらと日頃から考えておくことが、その一歩になる。