( 4/1 付 )

 西洋では昔、4月1日に新年の祝いをした。後にフランスの王様が1月から始まる新暦を採用すると、人々は「うその新年」と懐かしみ、ふざけて祝った。一説にこれがエープリルフールの起源とされる。

 この日ばかりは、罪のないうそならついても許される。ただし午前中だけで、午後は種を明かすルールの国もある。欧米では新聞やテレビが競って架空のニュースに知恵を絞るほど、親しまれる風習である。

 うそは本来あってはならない。大事なのは、笑って許せるユーモアに違いない。とはいえ、日本ではなかなか定着しない。ユーモアのセンスに欠けるせいなのか。あるいは、国会で笑えないうそを聞かされているからだろうか。

 安倍晋三前首相は「桜を見る会」を巡って、118回も事実と異なる答弁をした。武田良太総務相は「疑念を招くような会食はない」と繰り返しながら、週刊誌が報じるとしぶしぶ認めた。

 政治家や官僚の「記憶にない」という発言を、もはや額面通り信じる向きは少なかろう。質問に答えず論点をずらす「ご飯論法」など不誠実な対応も目に余る。うそとは言えなくても言い逃れにしか聞こえず、もやもやが募る。

 新年度がスタートした。異動で職場のメンバーが入れ替わると、2度目の正月を迎えた気分になる。新入社員が運んでくる新鮮な風も、日頃のもやもやを晴らしてくれると期待しよう。