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 <天文館みせのならびを知るほどに到さんが居た街とぞおもう>。数年前、短歌雑誌で見つけ、思わずメモした。昭和30年代に注目を集めた鹿児島の歌人・浜田到が顔を出していたからだ。

 作者の大井学さんには浜田の生涯をたどった著書がある。資料を集めるため、東京と鹿児島を何度も行き来したという。そのうち、「ガラス細工のように美しい」と称される作品を遺(のこ)した先達への思慕が募ったのか。

 浜田は鹿児島市の病院に内科医として勤めながら歌を作り、詩を書いた。1968年、往診の帰り道に自転車事故に遭い49歳で亡くなる。作品や創作メモをそろえた「孤高の詩人(うたびと) 浜田到」展が、来月10日までかごしま近代文学館で開かれている。

 孤高の枕言葉は「孤立の人」で知られたことに由来する。地元以外の歌仲間と会うのはまれで、中央歌壇からの面会の誘いを一切拒んだ。前衛短歌で知られた塚本邦雄には「私に会おうなどと思ってくれるな」と返したという。

 代表的な一首が<ふとわれの掌(て)さへとり落す如き夕刻に高き架橋をわたりはじめぬ>。自己の内面をひたすら掘った作品は難解で、それぞれに読み解きを託す。文学館の学芸員は「納得することなく言葉と向き合った詩人」と評する。

 会場の資料で両親の出身地、霧島市に墓があると知った。今月30日が命日に当たる。深淵(しんえん)な世界が広がる歌を改めて読み返す。