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 JR山手線に昨春開業した高輪ゲートウェイ駅周辺はかつて東京湾だった。駅前の広大な更地を眺めると、城の堀のような石垣に気付く。日本初の鉄道を海上に通した「高輪築堤(たかなわちくてい)」の遺構である。

 最近の再開発工事で合わせて800メートルが出土した。1872(明治5)年から新橋-横浜間を走った陸(おか)蒸気の礎が原形をとどめていたことに驚く。錦絵にも描かれた文明開化の遺構と、近未来的な駅舎との対比も面白い。

 浅瀬を細長く2.7キロ埋め立てて鉄路を敷いたのは、当時の軍部が「国防上必要」との理由で陸地の引き渡しを拒んだためだ。政府の要職にあった西郷隆盛も軍備優先の考えから鉄道建設に反対していた。推進派が海上ルートでの開業を急いだ事情が透ける。

 この地にJR東日本は2024年度開業を目指して超高層ビル4棟を計画する。重要な史跡であることは論をまたない。当然、港区教育委員会などから保存を求める声が上がった。

 保存方法を検討してきた同社は先日、技術的に貴重な橋梁(きょうりょう)部など120メートルを現地保存する方針を発表した。残りは一部を移設し、大半は調査後に取り壊すという。考古学者らは現地での一体的な保存を求めており、なお溝は深い。

 150年前の技術を伝える遺産の保存と、国際ビジネスへの貢献を目指す開発をどう両立させるのか。鉄道の原点を巡るJRの判断が街の風景を形づくる。