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 沖縄県の地元紙のベテラン記者と話していて、ちょっと驚いたことがある。有名政治家らを厳しく批判していたその人が、曽於市末吉出身の故山中貞則さんに話が及ぶと表情を一変させたのだ。

 新人時代に直接取材したことを自慢げに語り、懐かしがった。沖縄県の振興に熱心で「沖縄族」と呼ばれた政治家たちの中でも、別格の存在として記憶されていることを知った。

 山中さんは1970年、48歳で初入閣し、総理府総務長官として米軍統治下にあった沖縄の問題を担当した。その際、当時の佐藤栄作首相に告げた言葉が振るっている。「あなたもしばらくは山中を指揮することはおやめください」。

 唯我独尊の物言いに驚くが、沖縄返還に全責任を負う決意だったことは、沖縄の有人離島を全て訪れた行動力が物語る。首相も米政府との交渉に本腰を入れ、2年後の5月15日、本土復帰は実現した。

 自分の地元でもない沖縄に肩入れした根底には、歴史認識があったとされる。薩摩藩の琉球侵攻や、太平洋戦争末期の沖縄戦で戦場にされた苦しみと悲しみを念頭に、自らを「二重の恨みを償う使者」と称したこともあった。

 今の政権に、歴史を踏まえて県民の心情を推し量る誠実さはあるのだろうか。政府は普天間飛行場返還のための「唯一の解決策」として辺野古移転に固執している。復帰から49年、恨みの種だけが増えていく。